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タイトル名 |
火垂るの墓(1988) |
レビュワー |
マーチェンカさん |
点数 |
9点 |
投稿日時 |
2003-10-18 10:47:31 |
変更日時 |
2005-09-13 22:31:25 |
レビュー内容 |
僕にも妹がいるのですが、そのせいかはじめて見たときは、単純に悲しい気持ちにさせられました。それから何度か見返していくうちに、僕もやはり皆さんご指摘の清太の言動が目に付き始めました。僕としては、清太のあの愚かな行いに気が付いて、余計に彼ら二人の哀れさと、清太の(悪い方面での「子供っぽさ」と表裏一体になった)純粋さを感じました(無人の家に忍び込んで盗みを働き、「ざまあ見ろ」とばかりに笑う様子は、全く「子供」にしか見えません)。彼のあの愚かしい言動さえも肯定するつもりは毛頭ありませんが、僕としてはやはり彼があのような言動を取るに至った当時の状況(戦争)に思いが行ってしまいます。戦争という状況が、彼の子供っぽさ・純粋さに悪い方向に作用してしまい、最終的に妹を「殺す」事になったのではないか・・・そう僕には見えました。 <追記>この前久しぶりに見返しました。今度は意識的に、清太が親戚の家に居候した時を想定して「自分ならどうするだろう」と仮定してみました。答えは・・・正直言ってわかりません。僕自身は小心者ですので、どうにか不愉快な気持ちを押し殺して(清太よりは)上手く振舞ったかもしれませんが、しかし自分で自覚している自分の「愚かな部分」を思い合わせると、何とも言えなくなります。 僕自身は、非常に大きな数の人間を広範囲長期的に拘束する戦争という状況下では、皆がみな的確な行動を取ることは、とても難しいのではないかと思います。言ってみれば、こういう状況下では、人間の抱えている「愚かさ」みたいなものが、どうしようもなく表に出てしまう場面が存在するのでは・・・そう思ってしまうのです。 そしてこの映画の場合、その「愚かさ」は清太に現れました。後半で清太が見せる盗みはもとより、「自分と妹の二人だけで生活していける」という(致命的な)思い(込み)にしても、その思いの出発点がどれだけ純粋なものであっても、結果として妹を死なせる事になってしまった限りにおいて、「愚か」としか言いようのないものです。そしてこの愚行の出発点にあるこの純粋さの故に、僕は何ともやりきれない気持ちになります。 そしてこの清太の「愚かさ」と、その結果による節子の死と、これらの結果全体の「どうしようもなさ」を思うとき、僕は本当に哀れな気持ちになるのです。 |
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