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タイトル名 |
デッドマン・ウォーキング |
レビュワー |
ぴよっちさん |
点数 |
7点 |
投稿日時 |
2004-02-15 09:47:40 |
変更日時 |
2004-03-09 01:12:02 |
レビュー内容 |
見終わってどうも釈然とせず、アドバイスが欲しくて他の人のコメントを全て読まさせていただいたのですが、やっぱり釈然としません。残された遺族の無念、尼僧の苦悩、加害者の贖罪というものが反死刑制度を中心に据えて描かれるのですが、私にとっては惨殺された被害者が哀れでなりません。被害者の口のなかから土を掻きだした歯医者が死刑反対から死刑擁護に変った話や、被害者の二度とかえることのない空っぽになったベッド・・・・被害者側の話やシーンばかりが印象に残るのです。強姦・殺人を犯したショーンペンに対してその残忍さの前では死刑がどうのこうのという気にならないのです。近年、残酷な殺人が増えるなかでそれを防止する術ってあるのでしょうか。死刑がせめてもの抑止力につながるのであれば止む無し(いや厳密にいうとガンガン死刑にすべし)と考えてしまったのです。キリスト教文化からすると神ではない人間が、人を裁き、殺すということは不条理であると伝えたいのかもしれないが、残酷さという観点からは、ショーンペンの殺人の方が死刑制度よりはるかに残酷、残忍です。つまり、ショーンペンの罪の重さを浮き彫りにしつつ、一方で死刑という制度もまた殺人であるとうことを訴えたいというのが、本作品のメインテーマということなんでしょうかね。。。? 8点あげたいけど7点にします。理由はショーンペンのような輩が殺人を起こさないようにするにはどうするかということが描かれていないし、それを描くと散漫になるので難しいのでしょうが、すごく食い足りない要素です。それを描けないのであれば、こんな作品作らなければいいのに・・・・
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