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タイトル名 |
おおかみこどもの雨と雪 |
レビュワー |
めっくさん |
点数 |
9点 |
投稿日時 |
2012-07-25 02:03:01 |
変更日時 |
2012-07-25 02:17:22 |
レビュー内容 |
最近のアニメは、生きる理由に「誰かを助けたい」というのが多い。 そして誰かを助けることができるように、主人公が誰かを助ける力、 たとえば巨大ロボットを操縦する唯一の資格者とか、魔法が使えるとかそういう特殊能力を持っている設定が多い。 特殊能力を持っていて、かわいそうな人たちがいて、 すべてが用意された、受動的で薄っぺらい人生観だと思う。
この映画には、理由や説明はほとんど用意されていない。 花とおおかみおとこが付き合い始めた理由も、おおかみおとこが死んだ理由も、 先生が死ぬ理由も説明がほとんどない。 雪は、元気に自然を駆け回っていたが、人間界を選択した。 雨は、小学校にも通ったが、自然界を選択した。 物理的に出会うことと、魂が出会うことは全く別だ。 雪の魂は人間界を選択し、雨の魂は自然界を選択した。 理由などないし、なぜかなんてどうでもいい。 魂の感じるままに状況から行動を選択し、全うするだけである。 理由があるから生きるのではない。魂の求めるままにただただ生きるのだ。 生きる理由や助ける誰かを用意されないと生きていけないそこらのアニメの主人公より この映画の登場人物は何百倍も力強い。
あと感心したのが、花と韮崎の交流の描写だ。 花は雪と雨を育てるために山奥に暮らし始め、一人で畑を耕し始める。 うまくいかなくても、一人で耕す。花に特技があってそれが地域の人の助けになった なんてことは無い。花は自分の人生をひたすらがんばる。そういう姿を見て、韮崎は助言はする。が手助けはしない。花にやらせる。花も助言を受け、自分で畑を耕す。 助けてくれとは言わない。そうやって自分の畑を自分でつくり、そして地域の人たちとの交流が始まる。自分で動き自分の生活を自分で立てて、初めて他の人間と交流ができるのだ。できない理由を他に求めない、できなければできるまでやるだけなのだ。 最後に、鑑賞した映画館の呼び込みの人が「おおかみおとこの雨と雪」といってたのも おそらくなんの理由もないだろう。 |
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