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タイトル名 |
アンドリューNDR114 |
レビュワー |
エスねこさん |
点数 |
6点 |
投稿日時 |
2006-03-21 17:32:09 |
変更日時 |
2006-03-21 17:32:09 |
レビュー内容 |
なんか違う。 映画そのものも明らかに違うんだけど、ここのレビューを見てても論点がピンと来ない。これって、考えながら読む「小説」と、目の前の映像をひたすら受け入れなければならない「映画」との決定的な差なのかもしれない。ここでは(他のレビュアーの方々の目の向け先が変わってくれる事を祈りつつ)原作を元に後半の展開を再整理してみます。 表面上は恋愛が主軸になる後半部ですが、本来強調されるべき面はアンドリューの「人類への奉仕」です。ただ一体で医学と工学の限界に挑み、人間の寿命を倍にまで伸ばしてしまった彼の行動は、「人間になりたい」というピノキオ願望に端を発しているワケです。ワケですが結果的には人類社会へ貢献し、人造物としてはおよそスーパークラスの奉仕をしている。恋愛的な側面は原作にはないのです。最終段階の彼は、世界最強の実業家であり、およそ望んで手に入らないモノはなく、不老不死で、多くの人から尊敬され、人格者でさえある(映画ではけっこう省略されてますが)。それでも彼は言わざるを得ない。真摯に、ジェントルに、だが不退転の態度で「私を人間にして下さい」と…。 結局この物語って地球規模の『アンクル・トムの小屋』なワケですが、アンドリューというキャラが、人類を凌駕する巨大な存在にまで成長し、成熟する所がミソなんですね。どれだけ富や知識や人徳や寿命を持っていても手に入れる事ができない、とてもとてもとても大事なものが、人間ひとりひとりの中に存在している。生まれながら人間である事はそれだけ重要なんだってコトですな。 アメリカ流に言えば、それが市民権というコトです。 アメリカ建国200年に際して発表されたこの物語は、もちろん愛の物語なんかではなく、黒人が奴隷から市民になるまでの歴史を綴ったアシモフのロボット物の集大成なのです。
ラストでガラテアがポーシャの生命維持装置を切るシーンは原作にはないのですが、素晴らしかった。ロボット3原則に違反しているのを明白に理解している。彼女の犯した間違いが、あのシーンの中では間違いと言い切れない深さを持って響いてきます。なぜならそこに、アンドリューの萌芽が見えるから…。 あの終幕を入れたいがために余計なキャラやエピソードを突っ込んだのだとすれば、罪は深いがそれなりに意義はあったのかも。今は減点せざるを得ないですが、いずれ10点にまで届くかもしれません。 |
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