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タイトル名 |
裏窓(1954) |
レビュワー |
no oneさん |
点数 |
7点 |
投稿日時 |
2006-02-19 12:13:01 |
変更日時 |
2006-02-19 12:16:46 |
レビュー内容 |
ジェームズ・スチュアートがギプスで曲げられない足の先を必死に掻こうとする場面を観て、昔骨折して満足に身体を動かせなかったときのもどかしさを思い出した。この届きそうで届かない"もどかしい感覚"というのを上手に使っていると思う。
肝心なものは見えそうで見えない、証拠はないのにどう考えてもあやしい、調べたくても人に頼むしかない……とくにグレイス・ケリーの行動を遠くから見ていることしかできない場面はものすごく恐ろしかった。こういう悪夢をときどき見る。ある人に危険が迫っていることがわかっていても報せることができず、殺人者はどんどん近づいてくるのだ。肌がざわざわと粟立つようなスリルを味わう作品であって、どんでん返しを期待するのは筋違いではないかと思う。
BGMもなく必要以上に派手な演出をせずに淡々とみせるのは、サスペンスを日常生活に組み込もうとする試みだろう。地味すぎて現代では通じないという意見もあるが、たとえば『サイコ』だって音楽やどんでん返しが重要な仕掛けとなっているわけで、この作品の異常なまでの抑制の仕方は当時としても異色だったに違いない。
休暇中に部屋からぼんやりと窓の外を眺めていて、ふと目に留まったささやかな光景から始まる恐怖の物語。悪夢は非日常の世界にあるのではなく、あくまでも日常生活の裏側に潜んでいる。一見平和な生活も、裏窓から覗いてみればどんなグロテスクな様相を示すかわからないのである。この着眼点が秀逸な作品だと思う。 |
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