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タイトル名 |
その土曜日、7時58分 |
レビュワー |
no oneさん |
点数 |
8点 |
投稿日時 |
2009-08-27 21:48:23 |
変更日時 |
2009-09-05 23:58:48 |
レビュー内容 |
凝った構成で、最後まで画面に釘付けにされたが、終わってみると大まかな展開としてはよくある破滅型ノワールなのだった。展開に意外性を持たせようというのでなく、薄皮を一枚ずつ剥ぐように犯人達の動機、背景にある捩じれた家族の関係を顕わにしていくための構成だと思われる。犯罪ものの三大興味は「犯人」・「方法」・「動機」であるとされるが、他の二つがどうあれ「動機」に焦点を絞ったのは手法としてはありだろう。このジャンルに家族関係を絡めてきたのはとても新鮮だったし、ただのサスペンスには終わらない厚みのあるドラマとなっている。
原題はおそらく最後に父親が息子を殺害するときの心情を指しているのだろうと考えると、ひどく痛ましい気持ちになる。光の中に消える父親の姿は、彼自身もまた自殺するか、あるいは半ば廃人のような余生しか送れないことを暗示しているのだろう。兄に銃口を向けられてもそれを受容してしまう弟の表情もまた切ない。家族間の葛藤というのはこういうものだ。憎んでも憎み切れず、かといって許したくとも完全に許すこともできない。
ホフマンが父親に「見た目が可愛かったから」弟を贔屓したんだろうと詰め寄る下りは、妙にリアルだ(まったく平和な家庭に育った人であればそんなバカなと思えるかもしれないが、実のところ児童虐待と子どもの容姿とは関連がないとはいえない)。殺人の描写もそうだが、この映画の中の暴力はシュールといっていいほどあっけなく、それだけに残酷さが際立っている。父親が車をパトカーにぶつける場面で思ったが、ルメット監督はもしかすると北野武の影響を受けたのかもしれない。アメリカの作品にしては驚くほどストイックな表現だ。
キャスティングが功を奏していて、名のある俳優陣でありながら皆いい意味でオーラを抑えていた。生活に行き詰った平凡な人間としての生々しい存在感を放っている。とくにフィリップ・シーモア・ホフマンは巧みで、そんなわけはないのによく似た無名の素人を引っ張ってきたんじゃないかと思えるくらい自然だった。唯一、マリサ・トメイが浮いていたかもしれない。美人過ぎるよ、この人(44歳?!)。
それにしても、必ずしもここまで入り組んだ構成にする必要はなかったのではないか、という疑いは拭い切れない。伏線が噛み合う下りも、つじつま合わせ以上の意味が読み取れない場合が多かった。パズルのピースが嵌るような感動がなく、単に混乱を避けるために描写をくどくしたという感じなのだ。サスペンスとして優れているのは事実なので小手先だけの工夫ではないと思うのだが、必然かといえば微妙なところだ。とはいえこれだけのものを観せてもらえたのだから、減点は控えておく。 |
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