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タイトル名 |
私の中のもうひとりの私 |
レビュワー |
六本木ソルジャーさん |
点数 |
8点 |
投稿日時 |
2006-08-17 22:38:33 |
変更日時 |
2006-08-17 22:38:33 |
レビュー内容 |
観終わったあと、しばらくの間自分の人生や、他人との関係など、言葉にはならないけど色々と考えさせられてしまった。劇中にて、偶然レストランで出くわした、過去にマリオンに教わった学生が「自分の人生を変えさせられた」と、マリオンの授業に対して感謝の気持ちを述べていたが、まさにあのときの学生の気持ちと同じ気持ちだ。この映画こそ「自分の人生を見つめさせられた」と言わざるを得ないほどの衝撃を受けた。本作は、ある意味でアレン教授による哲学の授業なのかもしれない。 描き方も実に見事だ。マリオンは、現在・過去・夢の中を縦横無尽に、かつ全く違和感なくスムーズに行き来する。観客がマリオンと同一化できるような手法や工夫がとられていると思う。人生を見直すきっかけが、隣室からの患者と医者の会話からというのも見事なやり方だ。なにげないきっかけから、徐々に自分を見つめなおすということは、映画の主人公(特別な存在)というよりも、一人の50歳の女性として受け止められるのだろう。 そして最後には、マリオンとホープは一枚の鏡のようにお互いを映し出していく。マリオンを見たホープは、マリオンのようなあんなかわいそうな女性((色々と多くのものを持っていそうでも)何ももっていない人間)にはなりたくないと言って、マリオンの存在が反面教師になり「希望」を見出したように思えた(医者の対応からすると「自殺」したかもしれないけど)。ホープを見たマリオンは、自分の偽りの人生に気づき、人生をリセットして再スタートするという「希望」を見出した。マリオンとホープがお互いの鏡になったように、観客にとっても「マリオン」は自分を映す鏡になったのではないか。 また、白い仮面やクリムトの絵「希望Ⅰ」もいい使われ方をしていた。彼の絵の多くには官能的かつ絶望的な悲壮感が漂っているが、そういう絶望の中にも「希望」は確かにあると感じられる絵だ。 知らず知らずのうちに、自らを人よりも優位にみせようとする行為は人間にとっては避けられないことかもしれない。自分でも傷つけるつもりはなかった、たわいもない言葉が、相手にとってはかなりショックな言葉だったと受け取られたことがあった。その気がなくても、確かに人を見下したような言葉だったかもしれない。相手の気持ちを推し量ることは難しいと思ったことがあった。この映画をみて、そのときのことを少し思い出した。 |
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