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タイトル名 |
スリー・キングス |
レビュワー |
カイル・枕クランさん |
点数 |
10点 |
投稿日時 |
2005-10-21 01:19:06 |
変更日時 |
2005-10-21 01:19:06 |
レビュー内容 |
『殺す側』と『殺される側』。戦争ではこの二つのみに分類される。つまりやるかやられるか。 映画冒頭、マーク・ウォルバーグ演ずるアメリカ兵のトロイは何の気なしにイラク兵を撃ち殺す。多少の悔みはあるものの、それは戦争という名文でまかり通ってしまう。物語中盤にそのトロイがイラク兵に捕まり拷問を受け、母国の妻子が爆弾テロに巻き込まれたらと問われる。そこで気付かされるモノ。イラク国民の妻子、アメリカ兵の妻子、それぞれの立場が描かれる事で、より鮮明にそれは浮き上がってくる。母国の妻子がテロに巻き込まれるところを想像し悲しむトロイ。これはかつて想像出来なかった事であり、拷問を受け死と向かい合った事で気付かされる。 物語終盤、トロイはイラク兵に撃たれる。己がイラク兵を撃ったように。このシーンがこの映画の全てを物語っていて、冒頭でイラク兵が撃たれるシーンとリンクする。つまりトロイは『殺す側』と『殺される側』を体験する。これには観客である我々も「はっ」とさせられる。冒頭のトロイと我々は同じであると。テレビ画面を見て、数秒間悲しんで終わり。テレビを見ている我々は殺される事などないと思っているのだ。 反戦映画は山ほどあるが、この映画程直接的に訴えかけてくるはないと思う。
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