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タイトル名 |
クローサー(2004) |
レビュワー |
wunderlichさん |
点数 |
5点 |
投稿日時 |
2007-04-01 02:20:23 |
変更日時 |
2007-04-01 02:20:23 |
レビュー内容 |
ジュード・ロウから別れを告げられたときのナタリー・ポートマンの演技が素晴らしかった。そのシーンが一番好き。ひたすらそれしか目に入らなかった。しかし、こんなすてきな女優さんと音楽があるにもかかわらず、この映画はあんまりすくわれない。それはなぜか。結局、根本的な拠り所がないからだ。アリスがイギリスへ来たのはなにか変えたかったからだろう。ロンドンで出会った恋人には偽りの名前で接し、写真家に撮られた自分の写真を見て「全部嘘よ」といい、最後には愛という感情までもがふと燃え尽きて、アメリカに戻ることになる。結局、彼女は違う自分をつかの間演技することはできたけれど、それを本当の自分として引き受けることはできなかったのだ。自分の今やっていることへのコミットができるかどうかは、実は自分の意志で操れることではない。だとすればそもそも"自分”なんて概念は必要だろうか。題名のcloserからは、相手だけでなく、本当の自分に近づこうとしてるけど、到達することができない、そういうもどかしさが伝わってくる。でも、そういうもどかしさは僕自身がいつも一緒にいる感情だから、わざわざ映画を見て改めて思い知らされる必要はない。 |
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