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タイトル名 |
踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望 |
レビュワー |
ユーカラさん |
点数 |
6点 |
投稿日時 |
2012-09-17 22:19:28 |
変更日時 |
2012-09-17 22:19:28 |
レビュー内容 |
『映画は映画的であるほどドラマから遠ざかる』と、 本広克行が尊敬しているらしい押井守が書いている。
ドラマの本質はダイアログと状況設定にあり、 映像的主張はドラマを停滞させるから、というわけだ。
バストショット主体の対話劇でドラマは十分に機能するが、 劇場用作品となるとそうはいかない。映画的な見せ場こそ肝要だからである。
となると、既に盛んに批判されている荒唐無稽なバス突入や、 織田裕二の直感的判断と疾走こそ、 ドラマ的には不正解、映画的には正解だと見る事が出来る。
合理的動機に拠らない活劇であり、スペクタクルだからである。
あるいは、膨大なエキストラを統制しまとめあげた署内セットのモブシーンの活気、 充実した空撮、盛り上げどころで目一杯活用されるクレーン撮影の快いリズム感、 そして事件解決後の織田と柳葉のツーショットに 適切に差し込まれた朝陽の演出なども同様だ。
一方で、戒名を巡るギャグやラストの織田の演説などは、 ドラマ的には妥当であり、映画的には妨げでしかない。 活字、言語が機能するシーンだからである。
そうしたドラマ―映画のバランスの中途半端さは、 テレビドラマを始点とするシリーズ映画ゆえの性質にも拠るのだろう。
ステマを含む局の様々なしがらみ、制約、ファンサービスにも折り合いをつけながら、 映画的こだわりが伝わるのが何よりである。
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