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タイトル名 |
デッドマン・ウォーキング |
レビュワー |
哲学者さん |
点数 |
8点 |
投稿日時 |
2004-06-29 15:07:56 |
変更日時 |
2004-06-29 15:07:56 |
レビュー内容 |
キリスト教の最も本質的な教えを取り上げた珍しい映画。ハリウッド左翼のティム・ロビンスも、やはり根っこはここなのかな。で、その教えとは、最悪の罪人の中にもなお神を求める魂の力(=神への愛)が潜んでいて、彼らが自らの罪を本当に見据えたとき、彼らの魂の中に神に向かう意志(=愛)が現れる、という教え。イエスもローマに反逆して死刑になった罪人だった。現世の罪人が本当は神の子だった、という大逆転がキリスト教の出発点に仕込んである。迫害され虐げられたものの中にこそ、神は宿る。イエスはさておき、普通、大逆転は罪を本当に悔いること(「どうやって?どのくらい?」まあまあ落ち着いて。)から生まれる。社会の下層を這いずって生きてきたマシューは、このパターンをなぞっている。顎の細いショーン・ペンの顔は、屑白人(white trash)そのもので(ゴ、ゴメン!)、まさに適役。最後近い場面、マシューは死刑の薬物注射のために十字架状の台に固定されて、観客に正対する。キリストのいた場所に彼はいる。死刑は不当だが、同時に、こうして十字架上で死ぬことによってのみ神の許へ行くことができる。この二重の意味が、あのシーンに込められている。神の許へ行けば、彼が強姦して殺した女性ともすでに和解している。って、やっぱり浮かばれないだろ被害者は、と思うヒトは、御霊と祟りの信仰の中にいて、それはそれで別の宗教世界だからなあ。感動できない、釈然としない、というご意見は、重々ごもっともとしか言いようがない。 |
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