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タイトル名 |
リービング・ラスベガス |
レビュワー |
パブロン中毒さん |
点数 |
7点 |
投稿日時 |
2009-03-08 16:07:25 |
変更日時 |
2009-03-08 16:15:55 |
レビュー内容 |
原作者のオブライエン氏は非情にマジメな性格だったのだと思う。 彼の遺書ともいうべき「リービング・ラスベガス」のベンがそうであり、映画化決定後に「ちゃんと」自殺しているところからそう思う。 この「マジメさ」というのはとても「アメリカ的」なマジメさで、ヨーロッパにもアジアにも存在しない感じがします。「バカなマジメさ」「ウブなマジメさ」とでもいうのだろうか。 どうあっても酒がやめられないことがわかっているので、どうせなら積極的にこの肉体を酒に呉れてやろう、酒のせいで社会的に葬られたのなら、肉体的にも酒に滅ぼされてやろう…というようなマジメさです。約束どおり最後の瞬間までボトルをあおります。マジメです。 そして、この「アメリカ的なマジメさ」はベンのみならず、オブライエンの創造物であるセラもそうなっていて、彼女はとても「マジメに」売春をやっています。客の財布から札を抜いたりしませんし、まっとうな男性を間違えて誘ってしまったときは、直ちに謝ります。 この二人に足りないのは「ずるさ」とでもいいましょうか。とてもマジメに生きているけど、結果的に「社会のゴミ」的存在になるのです。ゴミ同様に、どこに行っても掃き出されるのです。 作者は、「ゴミの気持ち」「ゴミの主張」「ゴミの死に様」を書いてみたのではないでしょうか。そういう表現もありだと思います。でも、彼がずるいと思うのは1人で死ねないところですね。 可愛くて心優しい娼婦に最後を看取られて死にたかった…ベタな男の願望がまんま出てしまったところがNGです。傷ついた娼婦と心を通わせでもしなければ死ねない、というのがオブライエン氏の本音なのでしょうが、女はそういう都合に合わせて存在しているわけではありませんから、現実の世界では。 なので、私はこれはベンの妄想の世界と解釈しています。セラという名の売春婦と出会ったかもしれない、でも、彼女が情をかけてくれて、面倒を見てくれて、最後を看取ってくれたというのは願望で妄想です。自分が死んだあとも、愛していたと言って泣いてくれたらいいな、です。 リービング・ラスベガスは中野翠が絶賛していたために長いこと見る気がしませんでしたが、べつに見なくてもよかったような気がしますやっぱり。 |
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