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タイトル名 |
贅沢な骨 |
レビュワー |
パブロン中毒さん |
点数 |
6点 |
投稿日時 |
2007-10-04 13:49:08 |
変更日時 |
2007-10-04 13:49:08 |
レビュー内容 |
これはまさに…私は岡崎京子「Pink」を思い出しちゃった。 けど、「Pink」は「資本主義対個人の戦い」が狙いだったのだが、「贅沢な骨」は違う。 ホテトルやってても平気なふりをしている、という点は同じだが、「Pink」の主人公は本当に罪悪感が無かったし、「自分の持ち物のうち、売れるものを売る」という形で資本主義を攻略しようとしていたのだった。対して、「贅沢な骨」のみやこは…「あたしは不感症だから体売っても平気だからいいの」だ。 「不感症の女がセックスしても、セックスしたことにはならないから、していないのと同じだから、売春したって平気」。そこに、さきこを養ってやるという義務を追加して、彼女がホテトル稼業を営む状況が成立している。よって、新谷による開眼後の売春は苦痛を伴うものになり、営業後の口直しに新谷にまとわりつく…ということになっていく。 「Pink」にも3人の共同生活が描かれ、メンバーはホテトル嬢と腹違いの妹と作家志望の青年である。そして…彼氏の作品が受賞して金が入るという「偶然の幸運」という動機によって売春をやめ、お約束のように「南の島へ旅に」出ようと水着を選ぶが、出発当日彼氏は車にはねられ死亡。知らずに空港で待つ元ホテトル嬢。 が、行定監督が犠牲者に選んだのは、ホテトル嬢のほうだった。変態電車男に首を絞められて死んだのだろう。もちろん、自分から「締めてくれ」と要求したに違いない。 どうも監督は「汚れているとはどういうことなのか」ということを言いたかったらしいのだが、そうであるならば、性描写がちとしつこすぎたように思った。エロシーンが映画の邪魔をしている…と私には思えるくらいだ。 この3人を見るかぎり、日本はなんてひねくれた希望のない国なのか…という気がする。ここにいるのは「法」とか「奉仕」とか「道徳」とか「理想」とは無縁な若者たちだ。それが、今の日本の若者の雰囲気である、というふうには…私は認めたくない。20何年生きてきて、共通の話題が古いバンドの曲のことだけとか、3人同時に楽しめるのは他人に花火を投げつける時だけ、とか、あんまりにも情けないと思うなあ。それでいいのか。それが〝時代の空気〟か。 私は「Pink」は認めるけど、「贅沢な骨」の空気感は支持しない。この映画は、外国の人には見てほしくない。 |
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