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タイトル名 |
くちづけ(1957) |
レビュワー |
はあさん |
点数 |
8点 |
投稿日時 |
2020-10-31 15:32:40 |
変更日時 |
2020-10-31 17:42:56 |
レビュー内容 |
拘置所を訪ねたある若者(川口浩)が面会手続きを行った。面会を待つ間、若者は、目の前を泣きながら走り去る若い娘(野添ひとみ)を見る。 若者の面会相手は父親だった。丁寧語で遠慮がちに話す若者に対し、父親の口ぶりは、収監されている自分自身を誇らしげに語っているかのようだ。だが、10万という(当時としては)高額な保釈金の話が出てから、父親は急に弱気になり、その工面を若者に託す。 面会後、先ほどの娘が、食堂で「収監人の食費が足りない」と言われ困っていた。それを見た若者は、これまで一面識もなかったその娘の代わりにお金を支払い去っていく。娘は、バスに乗った若者に声をかけながら後ろから乗り込み、若者の住所や名前を聞こうとする。それに答えようとしない若者は、競輪場前で急にバスから降りる。同じように降りて後をついてくる娘に、若者は「誕生日はいつなのか」と聞き、それと同じ番号の投票券を買う。券は見事に大当りし、配当金で一緒に食事をする。こうして二人の距離が近づいていくのであった…。
本作の魅力は、通俗的かつ普遍的な恋を、当時の風俗を交えながらストレートに、シンプルかつスピーディーに描き切ったところだ。以下、解説していこうと思う。
川口浩演ずる主人公・宮本欽一は大学生だ。1957年当時の大学進学率が10%程度だったことを考えれば、エリートと言っていいだろう。両親は3年前に離婚。父親は選挙犯として現在三度目の収監中だが、一方の母親は、個人で営む宝石商の成功で羽振りがいい。欽一が住む父方の一軒家にはばあやがいて、保釈金の用意までは難しそうだが、経済的にはそこそこ恵まれているようだ。それでも、両親の離婚からか、欽一はどこか屈折したところを持っている。
野添ひとみ演ずる娘は白川章子といい、母親は清瀬の結核療養所に入所中、父親は勤めていた役所の金を使い込み、欽一の父親と同じ拘置所に収監されている(療養代金のための横領とも考えられるが、その具体的説明はない)。彼女はそんな両親を支えながら、ヌードモデルで生計を立てている。天真爛漫なところがあるが、生活苦のため、普段は心のゆとりが少ない。
欽一から見た章子は、魅力的な容姿で(江の島での水着姿を見て「いい体してる」と言っている)性格も明るい。一方、章子から見た欽一は、優しさと少々の不良っぽさを持つエリートで、お金の工面までしてくれる存在だ。
互いが持つこういった魅力は、今日の恋愛や結婚の相手に求められているものと何も変わらない。男が女に求める若さと容姿、明るさ。女が男に求める優しさ、ほどほどの野性味、そして経済力。モテる男女の条件は少なくともこの頃から変わらないと分かるし、本作が通俗的であり普遍的であるのはこのためだといえる。
さらに言えば、本作は、半ば偶然に出会った男女が惹かれていくというシンプルな物語を、74分という、映画としては非常に短い時間で中だるみなしに一気に見せるため、とても見やすい。
また、物語を描くために積極的に取り入れられている当時の風俗も、今では貴重な資料となっている。
欽一と章子が入った競輪場は、今ではなくなってしまった後楽園競輪場であり、中の様子が克明に記録されている。オートバイに乗る時はヘルメットをかぶらなくて良かったし、堂々と二人乗りもできた。恐らく舗装されて年数の経っていない道路には車が少なく、広々としていたことも分かる。 江の島の海水浴場の水着ショーで、思い思いのポーズをとる女性たちにかぶりつくようにカメラのレンズを向ける男たちは、コミケでのコスプレ撮影に比べて遥かに遠慮がない。隣接したローラースケート場では、なんと水着のまま滑っている。 また、恐らく運輸支局だと思うが、電話で車のナンバーを伝えると持ち主の住所をあっさり教えてくれるところからは、当時の個人情報に対する意識がうかがえる。
最後に、スタッフとキャストの関連性について、あえて触れてみたい。本作の原作者・川口松太郎と、欽一の母親役の三益愛子は実の夫婦だ。二人の間には4人の子供がいるが、その長男が川口浩であり、野添ひとみは、当時付き合っていた川口浩が大映重役だった父親の松太郎に頼んだことによって松竹から大映に移籍し本作に出演。そしてこの二人も1960年に結婚している。 本作には川口家の関係者が多く携わっており、当時のスタッフがどのように考えていたのか、気になるところだ。 |
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