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タイトル名 |
三度目の殺人 |
レビュワー |
目隠シストさん |
点数 |
8点 |
投稿日時 |
2021-06-07 17:56:30 |
変更日時 |
2021-06-07 17:56:30 |
レビュー内容 |
咲江(広瀬すず)が事件に関与していると認知された後、主人公および観客の間で共有されてきた『事件の真相』は、一般的に“腑に落ちるもの”でした。裁判途中で三隅が突然翻意した件も、この仮説を裏付けます。ですから裁判終了後、三隅の元を訪ね真意を質した重盛に対して、彼が黙って“頷いてさえくれれば”何の問題もなかったのです。ところが三隅は『それはいい話ですね』と嘯きます。例えば鉄棒の演技。後は着地だけのところで床が消えてしまったような。宙ぶらりんなこの感情をどうしてくれるの。 重盛や観客が想定していた『ストーリー』は、多分に性善説に基づくものでした。しかし元裁判官である重盛の父は『殺す奴と殺さない奴の間には深い溝がある。どちらかは初めから決まっている』と口にしています。そう三隅は『人を殺せる』側の人間でした。先の事件で彼が2人殺している事実は消えませんし、仮に誰かを助けるためだったとしても、普通は人殺しなどしません。 三隅を表す象徴的な言葉『器』。先の事件の関係者は、彼の本質が何かわからないと言いました。しかし、これは三隅に限った話ではありません。他人を理解することなど、土台無理な話。評価する側の価値観、経験測、信念等を頼りに想像するのみ。自分のキャパシティの範囲内で“分かった気になる”だけで精一杯。そういう意味では、重盛も、咲江も、それぞれの人間観で三隅の器に『納得できる人殺しの理由』を入れたに過ぎません。 おそらくこれは司法制度も同じ。真実を見極めることは至難の業。結局は、被害者や加害者、そして何より第三者(社会)が、それなりに納得できる“落としどころ”を見つけるのが本来の司法制度の趣旨という気がします。 |
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