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タイトル名 |
私の中のもうひとりの私 |
レビュワー |
すねこすりさん |
点数 |
7点 |
投稿日時 |
2010-12-05 00:57:04 |
変更日時 |
2010-12-05 01:07:56 |
レビュー内容 |
少し違うけどアガサ・クリスティーの『春にして君を離れ』を思い出してしまった。んでもって本作を見終わってから読んでしまった。どちらも、自分の認識している「自分」と周囲の認識している「自分」の乖離がもたらす苦々しいドラマ。ラストは違うが。本作のほうが百倍救いがあってホッとなる。決定的に違うのは、やっぱり第三者にズバッと本質をつかれたことだろう。しかも直接言われたわけじゃない。隣室のカウンセリングの会話で自分を客観的に見ざるを得なくなる。面と向って言われれば、むしろ反発して終わりだったかもしれない。『春にして~』のジョーンの場合、嫌味を言われることはあっても、客観視できるような機会はなかったことが悲劇的なラストになる。そして2人の夫も好対照。マリオンの夫は堂々と彼女を裏切るが、ジョーンの夫はそれをしない。気持ちは他の女性に動いていても、行動しない。これには何よりマリオンが経済的に自立した女性だったことも大きいだろう。ジョーンは専業主婦で夫の庇護がなければ生きていけない、というのは、夫にとっても重い枷になるのだということがよく分かる。・・・30歳からシナリオを書くようになったんだけれども、恐らく小説も、いや創造し表現するという作業には須らく共通するだろうが、当然の如くこれらの作業は自分と向き合うことを強要してくる。実にツライ。自分の醜い部分をこれでもかと見せ付けられる。当たり前だが、人には百人百様のモノサシがあり、似通っているものはあっても誰のものとも一致することはないし、立場が違えば同じモノでも形が違って見えるのだ、ということを、案外、自分も含めて人は分かっていないということに気付かされ愕然としたものだ。人間死ぬまで発展途上であると肝に銘じたわけだが、下手すると忘れてしまう。でもこういう映画や小説に接すると、思い出させてくれる。マリオンやジョーンのような志向は人間ならば誰にでも大なり小なりあるはずだが、そのことについて自覚が無いことほど恐ろしいものはない。マリオンは自覚できたから、救われたのだ。もちろん同じことが起きても誰にでも自覚できるわけではない。ジョーンは多分一生あのまま・・・、恐ろしい。 |
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