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タイトル名 |
こわれゆく女 |
レビュワー |
なんのかんのさん |
点数 |
8点 |
投稿日時 |
2011-08-06 10:28:15 |
変更日時 |
2011-08-06 10:28:15 |
レビュー内容 |
カサヴェテスの世界では「はしゃぐこと」と「演じること」と「リラックスすること」とが悪循環を起こしている。本作のジーナ・ローランズの妻は、家庭は気楽で居心地よく楽しい場所でなければならない、という強迫観念に取り憑かれている。リラックスしなければいけないという強迫。そこで彼女は精一杯、気楽で居心地よく楽しい雰囲気を作り出そうと演じるのである。夫のピーター・フォークが仕事仲間を連れてきたときのシーン。スパゲッティで接待するのだが、このもてなしぶりが微妙に度を越してしまう。客をくつろがせようとはしゃげばはしゃぐほど、食卓はピリピリしていく。はしゃぎの奥で何か重いものがどんどん膨張していってしまう。当然場はしらけてくる。そういった悪循環。もっと普通に出来ないのかと思う夫も、子どもたちを海に連れて行けば、ついハッピーな気分を強要してしまうし、妻の退院祝いのパーティでも「もっとこう、天気の話とか、普通の会話を出来ないのか」と怒鳴り散らしてしまう。「普通」というものは「普通でないもの」もある程度含んで初めて「普通」になれるのに、彼らは純粋な「普通」を求めてしまうのだ。リラックスしようとすればするほど、何かに向かい演じてしまう。いつも他人に対して構えているような生き方。この夫婦はそれに心底うんざりしているんだけど、それから抜け出そうとする試みが一つ一つ演技を補強していってしまう。まさに悪循環。この映画はヒステリックな赤に彩られながら、じっくりとこの徒労というしかない戦いを観客の前に展開してくれる。映画史上おそらく最もたくましい神経症患者。そうか、コロンボ刑事とグロリアの夫婦か、タフな話になるわけだ。 |
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