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タイトル名 |
バトル・ロワイアル 特別編 |
レビュワー |
称えよ鉄兜さん |
点数 |
7点 |
投稿日時 |
2007-12-07 13:56:56 |
変更日時 |
2007-12-07 13:56:56 |
レビュー内容 |
どう理解したらよいのだろう。 深作欣二監督がこの映画に込めた想い、それをどう受け止めるか。 監督は敗戦時に15歳。 ちょうど映画の出演者たち中学三年生と同じ。 直接戦場には赴いていない。 しかし沖縄なら熱血勤労隊といった形で同年齢の子供たちが直接戦闘に参加した。 戦場にいつ駆り出されるかという切迫感は持っていたかもしれないし、都市部にいたなら空襲によって殺戮を身近に見ていたかもしれない。 監督がこの映画で一市民が、子供でさえもが国家権力によって人殺しを強要される理不尽さを観客に感じて欲しいと思ったのなら、それは成功したといえる。 これは戦争映画ではない。 しかし一個人が理由なんかどうでもいいとにかく人を殺すことを国家から命じられ、それに従わなければ殺される。 こういう状況は大儀、理念はどうあれ現実に国家、軍隊が戦時に一個人に強制してきたことと重なる。 そういう意味ではその状況に身をおいた人間にとってこの映画は戦争と同義といえる。 この状況に置かれて生徒たちはそれぞれに反応する。 生き残るために友人を殺す者。 殺し合いを拒否する者。 拒否してどうするのか。 自ら死を選ぶ者。 仲間を集う者。 しかしその仲間たちも疑心暗鬼で崩壊する。 様々な人間模様は極限状況に置かれた人間がとる行動を具現化している。 あまりにストレートな演出ではあるが、人間の真実を抉り出していることは確かだ。 ビートたけし演じる教師キタノの行動が不可解だった。 鬱屈した精神はわかる。 実の娘におじさん呼ばわりされるほど毛嫌いされ、教え子たちとも断絶状態。 唯一生徒中川典子との淡い交流が彼の荒廃した心に咲く一輪の花。 その感覚は理解できなくも無いが、最後の行動はいったいなんだったのか。 その中川に銃(水鉄砲)を向けわざと七原秋也あるいは中川典子が彼を撃つ様に仕向けた。 自らの死でキタノは何を生き残った生徒に伝えようとしたのか。 最後に娘との電話の会話で(あれだけ撃たれて死んでないのか!)人を嫌いになるにはそれなりの覚悟が必要だと言ったがどういう意味だ。 国家というものは時に理不尽に個人の自由を奪う。 理由は何でも良い。 とにかく強制される。 これは一個人が抑えることも止めることも出来ない。 でもそんな状況に置かれた時にどうするのか、それはあなた次第よということか。 映画に明確な答えは無い。
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