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タイトル名 |
時をかける少女(1983) |
レビュワー |
高橋幸二さん |
点数 |
7点 |
投稿日時 |
2010-01-24 20:27:50 |
変更日時 |
2010-01-29 20:01:32 |
レビュー内容 |
切ないラストシーンのあと、その余韻を打ち破り、あらすじを再度辿りながらヒロインが歌うエンディングは、シュールすぎて公開当時は物笑いの種になっていたようだ。本編では、彼女の愛は悲しい運命の前に引き裂かれる。それがエンディングでは、ヒロインが振り向き際に深町にぶつかり、顔を上げ、自分を見守る深町を見て微笑むシーンで終わる。それは、現実の歴史では実現しなかった夢物語である。本編では幸せになれなかったヒロインに、もう一度やり直すチャンスを与えてくれた大林監督の親心を、私は評価したい。
我々の人生には、やり直しなどない。SFのようにタイムリープなどできないとわかっている。今では変わってしまった竹原の町並みも、あどけない17歳の原田知世も、もう戻っては来ない。だからこそ、NGを出してやり直しを請う原田知世が、たまらなくいとおしい。 「尾道三部作」第2作の本作で大林監督は、古風な竹原の町で、愛した人の記憶を消されてしまう物語を描いた。監督が訴えようとしたのは、失われていくもののいとおしさだったに違いない。第1作「転校生」では、ヒロインがボーイフレンドに別れを告げたあと、振り向いてスキップを踏んで帰るラストシーンを描き、忘れること、思い出にさよならを告げること、それが大人への階段を登ることなんだと訴えた。ところが本作では、二人とも記憶を消されるからたとえ会ってもお互い判らないと言う深町に、ヒロインは「分かるわ、私には」と断言する。そして遠のく意識の中で「さようなら、忘れない、さようなら」と訴えるのである。 過去を失うことは、つまるところ、未来を失うことなのだろう。過去の経験があってはじめて、未来があるからだ。それゆえヒロインは、たとえ傷つくとわかっていても過去の真実と向き合う道を選び、深町もまた、掟に背いてでも彼女の気持ちに応え、全てを告白した。 10年後、大学の廊下で偶然出遭ったヒロインと深町は、デジャブを感じながら互いに振り返る。カメラが後ろにすうっと引いて行き、深町がみるみる遠くなっていく演出には、胸が締め付けられる思いがする。 指の傷は癒えても、傷跡は消えることはない。たとえ愛した人の記憶は消えても、人を愛した記憶は心の片隅に残るものなのだろうか。
「預言はすたれ、知識もすたれる。 だが愛はいつまでも絶えることはない。」(第一コリント13章) |
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