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タイトル名 |
おおかみこどもの雨と雪 |
レビュワー |
楊秀清さん |
点数 |
4点 |
投稿日時 |
2012-07-27 19:18:25 |
変更日時 |
2016-08-05 22:52:35 |
レビュー内容 |
大きくは、子供の自立と自分の母性との葛藤(花)、狼と人間どちらとして生きるか(雪・雨)が主題だろう。 まず、花は「笑顔でどんなことも受け入れる人」なのだからそれはそういう設定でいいとして、 しかし、そんな花ですら受け入れられないこと=「雨の狼としての自立」に直前まであんなに反対していたのに、夕日の中の遠吠えでその承認への決心がつくって… 直前の気を失っているシーンで、雨が父に重ねて見え、その動物性や男性性に他者性を感じて納得した、ってのなら腑に落ちるけど… いや、記号として、狼の象徴としての遠吠えってのはわかりますよ、もちろん…
山の主の役割がイマイチ不明なため、なぜ豪雨だと山の主として雨が必要かがわからない(端的には「巣が落ちた雛」への対応みたいなものなんだろうけど)。雨の自立への意識の変化が見えない。というかこの偶像として「山の主」ってのを持ってきたってのが混乱の原因だと思う。
花に行かないでと言われ、それでも行くとなった時、花が追いかけてくることは予想がつくだろうに、そこへの配慮を見せて決別する、といった形では精神的な成長の演出はない。 そうではなくて「森を守るという使命感の獲得」として雨の成長は描かれる。いや、獣らしい本能的思考といえばそれまでだが…それって成長なのか… この辺の、人間としての成長、狼(動物)としての成長がなんともごちゃごちゃになってるのが本作の一番しっくりこない点だと思う。
一番ストーリーを薄くしてるのは、二人の選択の差が、単に女性の方が社会性を早期に帯びやすいというその一点に見えてしまう点。 花のセリフを借りれば、「狼なら大人の」10歳という地点が、人間の生育環境上どういった時期か、という一点で決まるって、それってドラマとしてどうなの…。 しかもその選択は個人の葛藤としてはほぼ存在せず、兄弟間の意見対立としてのみ描かれている。 「二人は狼でもあり、人間でもある」ということを、人間で「しか」無い花が言うことの虚しさによる親子の対立とか。 激しい兄弟げんか後に生じるであろう互いの、この選択でいいのか?って疑念とか葛藤とか。 一緒に育ってきた姉弟が道を分かつことへの不安とか。 そういう心理描写がどんどんスルーされていくのがきつかったです。 |
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