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タイトル名 |
トウキョウソナタ |
レビュワー |
BOWWOWさん |
点数 |
8点 |
投稿日時 |
2010-12-04 16:19:04 |
変更日時 |
2010-12-04 16:19:04 |
レビュー内容 |
自分なりの希望を胸に米軍に入隊し、颯爽と家を出て行く長男。残された母親はある日、そんな彼が帰宅する夢を見る。憔悴し這々の体で帰還した息子は、この手で敵を何人も殺してしまったと、沈痛な面持ちで母に告げる。魘され、居眠りから飛び起きる母親。だがその夢は彼女にとって、いわゆる悪夢ではない。自分の忠告に耳を貸さず家から去った我が子が、自身の選択を悔い尻尾を巻いて逃げ帰ることを、彼女は願っているからだ。その願いが実現するためには、家を捨てた息子が家の外=戦場の悲惨さによりひどく打ちのめされなくてはならない。そうして彼女は心のどこかで息子の不幸を望み、その後ろめたさに魘されるのだ。父親にしてもそうだ。父としてふりかざす威厳をもってしても長男を家に繋ぎ止めることに失敗した彼は、幼さゆえ逃げ場所を持たない小学生の次男に対し支配的な暴君となることで、再び威厳を取り戻そうとする。そして自らが理想とする父親役を躍起になって演じる。リストラの不名誉を必死で隠しつづけることと同様に、たとえそれが如何に不毛な行為であったとしてもだ。そうすることで「家」を守れると彼は頑なに信じる。そして妻には良き妻良き母の役を、次男には従順な子どもの役を、それぞれ上手に演じるよう要求する。従順でありさえすればいい息子にピアノの才能があることなど、彼にとっては理想のマイホームを脅かす不吉な白蟻のようなものだ。私はここで、まさに白蟻を発端に崩壊する家族を描いた石井聰互監督『逆噴射家族』を思い出す。だが、エゴむきだしな壮絶なバトルの末に食卓を囲んだ『逆噴射』の家族に対し、こちらの家族は向き合うのでなく離散する。それぞれの闘いはそれぞれに家の外=戦場で行われ、それぞれの出来事は共有されることなく、それぞれの秘密となる。それでも、留守となり一旦機能を停止したその「家」に、秘密を抱えた彼らは再び帰ってくる。そしてやはり何事もなかったかのように朝食を囲む。たとえ本末転倒であっても、彼らはそうして家族に戻るのだ。続いて描かれる幕切れの強烈な鋭さは、黒沢清監督真骨頂だ。音楽学校の実技試験で桁外れの見事なピアノを披露する次男。演奏を終えた息子を迎えフレームアウトしていく彼らを、他の受験生の父母たちが振り返り、羨望の眼差しで見つめる。なんて理想的な家族だろう、と。 |
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