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タイトル名 |
ピアニスト |
レビュワー |
BOWWOWさん |
点数 |
9点 |
投稿日時 |
2009-11-03 18:00:27 |
変更日時 |
2010-03-21 03:24:40 |
レビュー内容 |
エリカは感情を麻痺させる術に長けている。他人を求め拒絶されることは恐怖だ。あらかじめその恐怖の芽を摘みとることで、彼女は孤独と引きかえに心の平穏と均衡を手に入れてきた。それは彼女なりの生きる智慧だ。ポルノショップで男たちの好奇の目に曝されること、ドライブインシアターでカーセックスに耽る恋人たちを窃視すること、彼女の秘密の二つの行為はどちらも視線を媒介する。見られる時、あるいは見る時、そこに生じるのは他者との距離だ。視線という距離を測ることで彼女は他者との隔たりを認識し、安心する。母親以外を隔絶して生きる彼女はまるで羊水に浮遊する胎児だ。けれどミヒャエル・ハネケはそんなエリカのぬるま湯のような無痛の孤独に、残酷な揺さぶりをかける。彼女の鉄壁を乗り越え迫るワルター。彼のその無邪気さは、常に茫とした第三者として世界に存在していたはずのエリカに、当事者としての甘美な実感を与えてしまう。あえなく氷解してしまった感情のままにたどたどしくワルターと向き合うエリカは、雛鳥のように無防備に愛を乞う。痛ましく無様なその姿と、やがて語られる赤裸々な被虐願望。それは隠し持つ己れの醜さすら曝け出した上で赦されたいという切実な愛の告白であり、罪深い彼女にとってのある種の告解だ。だが頑なな心を開いた彼女を残忍に待ちうけるのは、愛した者に拒まれ、切り捨てられる絶望だ。健やかな笑顔を見せ、他人事のように軽やかに去っていくワルター。それら出来事のすべてが彼女の妄想であれ現実であれ、重要なのはその痛みを前にしたエリカが、麻酔も鎧も、身を護るその一切を失っているということだ。母との蜜月を断ち切り、産道を抜け、血まみれで産み落とされた彼女はもうぬるま湯に逃げ帰ることはできない。胸に突き立てたナイフは、鋭い痛みの実感を彼女に与える。その表情によぎる誤魔化しきれぬ苦悶。エリカは血を流す生身の体で再び、貫くような孤独の痛みの中を、ひたすらに歩いて行く。この不愉快な映画はまさにエリカの持つ尖鋭なその刃の切っ先だ。ハネケの見せつける本物の痛みを前に、私はその不愉快を滑稽と嗤い飛ばす。けれどそれはエリカを庇護し続けた偽りの麻酔とどこが違うのか。ハンドバッグの中に包み隠されたそのナイフを、私もまた確実に持っている。ハネケは言うだろう。ナイフを突き立てろ、そしてその痛みから目を逸らすなと。 |
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