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タイトル名 |
この世界の片隅に(2016) |
レビュワー |
⑨さん |
点数 |
10点 |
投稿日時 |
2017-02-11 03:07:22 |
変更日時 |
2017-02-11 03:28:18 |
レビュー内容 |
原作漫画は未読で年末に観に行った。観終わった後すぐに原作を注文していた。年が明けてから近くの劇場に監督が舞台挨拶に来ると知りまた観に行ってしまった。舞台挨拶なんて地方に住んでいる自分にとっては初めての経験だった。まさかパンフレットにサインまでもらってしまうことになるとは思いもしなかった…。
淡々と紡がれていく日常。しかしテンポは異常な程に良い。すずという少女の虜になった観客は食い入るようにスクリーンを見ることになるだろう。この作品は完成まで7年を要したという。資金不足という面もあっただろうがそれだけの膨大で緻密な調査が行われている。すずという女性をリアルに身近にいるように描くにはどうすればいいか。この一点に監督の力が注がれている。一人の女性の日常をそのように描くことができればその日常を歪にしていく戦争をも描き出すことができる。その信念や姿勢が作品から伝わってくる。
タンポポのように流されるがまま生きてきたすず。絵を描くことが好きで得意の彼女は言葉ではあまり語らず絵で想いを発しているように思える。しかし、戦禍で右手を失った彼女は次第に言葉を紡ぎ始める。そして多くの葛藤の末に自分の居場所を確認する。「やっぱりここへ居らして貰えますか…。」その直前の義姉との和解の瞬間、訪れる閃光に息を吞む。直接的な惨状は描かないが強い印象を残す。「治るよ。治らんとおかしいよ。」妹の腕にできたしみ。それだけで我々には伝わる。終戦の日のすずの怒り。自分たちがいつの間にかなんとか適応してしまっていた戦争が、たった一つのラジオ放送で終わりを告げるようなものだったことを知り憤る。放送が終わった時には涼しい顔をしていた義姉の径子が隠れて失った娘の名を呼び慟哭する姿はとても堪えた。戦争が終わっても日常は続く。白い米が見えんと灯火管制の布をはがした時本当の日常が戻ってくる。たったこれだけの当たり前のことができないのが戦争というもの。日常を丹念に描くことで戦争というものを浮かび上がらせ突きつけてくるのだ。何度も。
この作品を見終わった後に感じたもの。反戦、何気ない日常の大切さはもちろん感じる。だがそれ以上に感じたのは人間というものがなんとも健気で、したたかでしぶとく、そして愛おしいものか。何か知らない行列に並び占領軍の残飯雑炊をすすり「うま~」と思わず口に出してしまうシーンは庶民のたくましさと愛らしさが同居しているシーンだ。その人間たちに命を吹き込んだ声優陣も素晴らしかった。コトリンゴが紡ぎ出す音楽、歌もこれ以上にないくらいこの作品に寄り添っている。彼女の歌とともに描かれるラストの孤児のエピソードに圧倒された。戦争によって失った右手が引き寄せる新たな縁。「どこにでも宿る愛-。」新たな居場所を見つけ出した少女が北條家に何をもたらすか。観客は希望を持ってそれを想像するに違いない。
もちろん原作漫画が傑作であったのは大きかったと思う。しかし、それに惚れ込んで長い時間をかけ作品を育てていった監督やスタッフには敬意払わずにはいられない。アニメーションだからこそ作り出せた人間賛歌。堪能させていただきました。 |
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