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タイトル名 |
ゴジラ(1984) |
レビュワー |
せんべいさん |
点数 |
6点 |
投稿日時 |
2016-08-06 15:15:51 |
変更日時 |
2016-08-06 15:41:02 |
レビュー内容 |
シン・ゴジラ(2016年)の公開を機に投稿いたします。テレビ東京でも8/2(火)の昼に放送されました。他のレビュアーさん達のおっしゃることと内容が被る箇所もありますが「思いは同じ」ということでご勘弁を…。 当作品が製作発表された1983年当時、高校生だった私の周囲では「原点回帰を目指し、現在にゴジラが現れたらどうなるか」というコンセプトに期待感を持ち、完成を楽しみにしていたものです。しかしスーパーXという架空のメカが登場するとわかり、一同、劇場へ行く気持ちが萎えました。そして公開時の1984年の冬は、↓のあばれて万歳さんがおっしゃっている通り「ゴーストバスターズ」「グレムリン」と共に「クリスマス・お正月映画‐3G決戦!」と宣伝されたものでしたが…観客の皆さんの評判は、良いものではありませんでした。そして、その後のTV放映を観て「ああ、やっぱり…」と思ってしまったものです。 今回、あらためて観直して「残念」な作品だと思いました。以下、三つの点から述べます。 まず一つ目。「現在にゴジラが現れたらどうなるか」というコンセプトを完遂するなら、スーパーXを出さずとも【ゴジラを倒すにあたり、米ソが何と言おうと、被爆国として二度と核兵器は使わない→しかし自衛隊の総力を挙げても倒せない→渡り鳥の発する超音波を再現し、ゴジラの帰巣本能を刺激して誘導し、見事に成功する】だけでも、十分、見応えのあるものになったのでは…と思います。当作品が公開されてから30年以上経ちましたが、いまだにスーパーXと思しきメカは作られていません。たとえ「ゴジラが実際に現れた後の日本」という設定だったとはいえ、やはり実際の科学水準に比してスーパーXは突飛な存在であり、せっかくのコンセプトを壊してしまったと言わざるを得ないと思います。作り手の皆さんの間でも、スーパーXについては、意見が分かれたのでは…と推察しています。 そして二つ目、何よりも致命的に感じたのは、他のレビュアーさん達もおっしゃる通り、展開が単調・平板すぎることです。まず各シーンについて、俳優さん達は、経験値により上手い・下手の差はあるにしても、皆、熱演していると感じましし、特撮も頑張っていたと思います。しかし各シーンどうしのつながりや場面転換がぎこちない印象を受けました。さらに音楽も、ごく一部を除いて控えめな使い方をしており、各シーンと共に消えがちでした。ときには、あるワンシーンの中でさえ【特撮のカットで流れていた音楽が、実写(本編)のカットになった途端、突然消えてしまう】という箇所もありました。その結果、映画の流れも、音楽と共にその都度ブツッと途切れてしまう印象を受ける箇所が多々ありました。映画音楽には、シーンやカットどうしの流れを円滑につなぎながら盛り上げていく効果もあると思います。映画監督さんの中には、この効用を「安易」と嫌って音楽の使用を極力避ける場合があるようですが…ドキュメンタリータッチをねらって控えめにしたのでしょうか?。 最後に三つ目、これは総論となりますが…ゴジラと銘打ちながら実は、原子怪獣現わる(1953年)のリメイクをつくりたかったというGODZILLA(1998年)よりも(→詳しくは、GODZILLA(1998年)のレビューをご覧ください)、「ゴジラを復活させたい」という作り手の皆さんの思いはずっとピュアだったと思うのです。それなのに、GODZILLAのほうが【劇映画・娯楽映画】としては無難に仕上がっているのが残念でなりませんでした。↓のアングロファイルさんがおっしゃっている通り、コンセプト(アイディア)はいいものの、表現力が伴っていなかったようです。おそらく、スタッフの皆さんも「本当はもっとハラハラドキドキの映画になるはずだったんだけど…」と物足りなさ・悔しさが残ったのではないかと、推察しています。シン・ゴジラ(2016年)を観た当時のスタッフさんの中には「そうそう!本当はこういう風にしたかったんだ!」と思う方もおられるかもしれません。 さて採点ですが…【劇映画・娯楽映画】としての出来映えだけなら3~4点ですが、結果はどうあれ、ゴジラが単体で登場する貴重な作品の一つであり、原点回帰を目指した点は素晴らしいと思います。そして「ゴジラを復活させたい」というスタッフの皆さんの情熱が、後の「VSシリーズ」、そして、同じく原点回帰をねらったシン・ゴジラ(2016年)へとつながったのだと思います。その情熱を加味し、大甘で6点を献上いたします。 |
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