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机のなかみ(2006年【日】)評価低くて申し訳ない。以下はネタバレ愚痴オンリーで。
『レザボア・ドックス』方式は全く評価しないオイラなんで、ここが致命的でした。 このストーリーなら時分割する意義は(あまり)ないし、むしろひとつのストーリーラインに統合した方が「この先どうなるんだ」というサスペンスを生む効果が期待できる。この完成形では、3つのパートは「問題編」「正解編」「応用問題編」と言っても過言じゃない。なんかもう主人公たちの立場で夏休みのドリルをやってるみたいな気持ちだった。 家庭教師側の視点が浅くて、脚本を練り直すうちに生命を失ったんでは、という点も危惧している。明らかにロスジェネを意識した未来への希望のない家庭教師。彼の就職への不安や学校生活の不毛さなんかを織り込むと、「オレには『今』しかないんだ」という、刹那的で短絡的で、無思考に追い込まれた世代の気持ちを表現できるように持っていけたと思う。それができなかったのは2006年に景気が上向き、就職戦線が好転したから…というのがオイラの読みで、つまり脚本を練るのに時間をかけ過ぎて時期を逸したんじゃないかなあ、と。まあどんな社会情勢でもあーゆー奴はいるとは思うが、エピソードを少し調整して時代を2002年にシフトしてやれば、かなり観客を引き込めるキャラクターに育てられたんじゃないかと思う。 巷の評価通り、女子高生の鈴木美生は光る演技だったが、主役になれずにいる(エピソードの方に責任があると思うんだけどね)。「全員が脇役」という、オードブル的というかチラシ寿司的というか、そんな物語になっていて、なぜかと言えばラストの号泣がクロスカッティング処理されているから、なんだろうなあ。クライマックスの方は、前半と逆になんか「『イントレランス』方式の悪い例」みたいな印象を受ける。 いろいろグダグダ書いたけど、確実な事がひとつだけある。 本作唯一のキスシーンで、いいBGMが流れれば3~4点UPしただろう。 号泣シーンは音楽を消し、最後のバッティング練習場でゆるいBGMを入れる。多分これだけで、見栄えが劇的に変わる。感傷を嫌うのは別に構わない。が、「画面から全てを読み取ってくれ」ってのには、少しきついよコレ。 (家庭教師側は別として)張り裂けそうな少女の内側を、代弁したり支えたり、突き放したり遠くから応援したり。そういう「観客と画面との間にかかる橋」という立場の劇伴が入って欲しかった…そう思えてならないのれすよ。 ●翌日の追記:さらに毒。 実はこれ、圧倒的な信頼を寄せていた札幌の蠍座で、初めてオイラのストライクゾーンを外した「四級作品」でした。100%、何も引っかからない。 なぜかと問い掛けてみれば、多分「家庭教師×女子高生」「多視点での語り直し」「本心の読み合いと、ダイアローグで駆動する物語」…このへんは全てギャルゲかエロゲの得意とする素材であったり技法であったりするわけなんですよ。インディペンデントな映画作品に見えながら、実は全部がアドベンチャー・ゲームのフォーマットの上に乗っている。その発想の安易さ、インタラクティブなゲームと違い映画である事のデメリット(2巡目では観客がダレ気味、とか)を回避できてない不器用さ、そんな部分がおっそろしく目立ちます。正直、いいシーンが多いのは別として、金とって見せれるラインのギリギリのあたりにある構成力。 特に過去の『レザボア・ドックス』形式の物語では、ヴィトゲンシュタインと荘子を主軸として視点毎に全く質の異なる狂気と実存が爆発する哲学奇作エロゲ『終ノ空』があるだけに、全く構成のパワーを感じられない。 このスタッフにスポットライトを当ててみたい蠍座の気持ちもわからんではないけど…スタッフに「ゲーム禁止令」を出す方がよほど将来のためのような気が…。 ●週末の追記: なんか昨日、この記事にすっごいアクセスが集中したんですが。 札幌の皆さん、面白いかどうかは自分の目で確かめてねん。蠍座には儲かって欲しいしな。 入れてみたいBGM、いろいろ考えてるんですが、オイラ的なセンスでは キスシーン:「星になれなかった涙」EPO(←ほのぼの失恋系) エンディング:「スタンド・バイ・ミー」ベン・E・キング(←そこはかとなく熱い系) …優しく見守りつつ、決定的には主人公へは同化せずに突き放す感じの音楽ですね。 うーむEPOのは暖かくていい曲なんだけどマイナーだよなー。歌詞は「飛び降り自殺直前!」ってイメージでおっそろしいですが(汗)。 |
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