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ハワイ・マレー沖海戦(1942年【日】)牧歌調のオープニングは「思ったよりいいでわないの」と引き込まれたんだが。
予備兵の訓練シーンも主人公の頑張りにそれなりのリアリティが付されて、悪くない。 飛行隊に入って訓練を受けているところも、空撮が加わって見栄えが増している。 …と、ここまでは魅力がグングン増していた。 ところが(つうかここがシナリオの巧みな部分なんだが)、海軍の先輩である兄から大和魂についての薫陶を受けてからは光景がガラリと変わる。もう国際関係は日英会談を過ぎていて、日本の後戻りは効かない頃。このタイミングで始めて民族的な精神論が語られる、という時代の空気を反映したセリフが泣ける。 当然、このシーンを経過した後は狂気の沙汰が繰り広げられ、ラジオ放送から真珠湾が無防備であるのを知った時の喜びようとか、「マレー沖で敵艦発見」の報に体を奮わせる上官の無邪気な幸福感とか、索的専門の坊主のビジネスライクな演技とか、戦後マインド的にもぉ普通でない光景が延々と続いていく。主人公が諭された東郷元帥×大和魂の話を海軍全員が聞いているかのよう。 これが戦意高揚映画として観られていたっての自体が、信じ難い。ラジオで敵の肉声を聞かせるのだ。アメリカ兵が酔っ払って役に立たないってのを知ってから、喜んで攻撃に出るのだ。それも波状攻撃で徹底して殲滅する作戦なのだ。普通の戦争映画なら、このへん、こういう事実は隠すでしょ。映画公開の1年前までは敵国じゃなかった国なんだよ。 予備兵時代、主人公が「海軍の精神とは」と問われて「がんばりです」と答える。正解は「命令への絶対服従」「攻撃精神」「犠牲的精神」。主人公にそういう事を言わせなかったのは「ずるい」とも言えるが、主人公が完全には海軍の精神に取り込まれていない事を示すシーンだと受け取った。 家庭での会話も慎重に選ばれている。戦争の善悪や主人公が死ぬ危険性については、白とも黒とも意見をはっきり示さない。ただ海軍という組織への賛美があるだけだ。終わりの方、ラジオ放送でマレー沖の戦果を聞く家族。無言で、硬い表情で、身動きもせずに聞き続ける人々。このシーンをあえて入れる必要が、戦意高揚映画にあるだろうか。 本作は、オイラには十分に日本の軍政批判と受け取れる映画だったし、ごく普通の少年が殺人マシーンに成長していく和製『フルメタル・ジャケット』とも観れる。等身大の死から遊離した爆撃機の内部には『博士の異常な愛情』の片鱗すら感じる。 極めて怖かった。人間から人間のふりをした何者かへ変貌していく姿が、それだけが、徹底して赤裸々に描かれている。どんな反戦映画よりも、どんなサイコホラーよりも恐ろしかった。 一番怖いのは、おそらく史実もこうだったんだろう、という事だ。 |
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