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トランスフォーマー(2007年【米】)7点か8点か微妙なあたりだけど、とりあえず7点としました。
ただし評価が低いわけじゃない。本作はオイラの専門分野にド真ん中で突っ込んで来たので、しっかり語らせてもらいますかに。 まず減点ポイントですが、メガトロンたちのバックボーンをあからさまに語ったのが失敗。彼らの主観で語る場面こそが必要だったはずだ。なぜかというと本作の物語構造は「グランドオペラ形式」というSFのサブジャンルをコンプリートになぞっていて、しかも元ネタがかなりラリイ・ニーヴン&ジェリー・パーネル作『降伏の儀式』だと割れるからだ。 『A.I.』でブリティッシュSFに手をつけて以後のスピルバーグ(製作も含む)は物語面に関してとにかくSFオタク全開で、『タイムマシン』『宇宙戦争』で古典回帰、『マイノリティ・リポート』『アイランド』で管理社会モノをやって、従来「売れない」と言われてきたSFサブジャンルの映画化をひたすら追求している。 今度目をつけたのがグランドオペラだったというのは、多分まあ『インディペンデンス・デイ』を意識した結果だろう。なんたってアレは映画界で唯一成功したグランドオペラ形式のSFだから。ポッと出のエメリッヒにああも見事にやられたのが悔しかったんじゃないかと推測。 登場人物数が膨大で、最初はゆったりとしたテンポで、世界中を飛び回りながら同時並行していくつもの物語が展開し、それぞれのストーリーラインが交錯する中で世界の危機が明らかになり、一箇所に集まった主人公たちが、やがて様々な価値観を超越してひとつの目的に向かって動き始める…グランドオペラの物語は、そうやって数千ページの長大な物語を構築する。当然、物語の緊密さは求められないので、極めて「ゆるい」展開になる。世界規模の危機の場合、いろいろ語っておかなければリアリティが薄れるし、地の文ではなく多視点に分散してドラマの生起の中で語らせる考証や設定が、えらく煩雑になるからだ。本来は長大なテレビドラマのストーリー展開をモデルにした小説群なので、映画の尺に収めるのはけっこう辛い(この、全体を140分に収めた構成力がエメリッヒの天才的な部分だったと思う)。 本作の場合、「あーなるほど、確かにニーヴン&パーネルならこういう風に人物配置するわなあ」とニヤニヤし、「あーやってるやってる、お約束のトホホシーン」と、無駄な律儀さに嘆息し、「結果的にトランスフォーマーのインパクトが弱くなってるのは狙ってる?」と心配して、観ていて忙しい事この上ない。 要所のマイケル・ベイ風味はこういうスピルバーグの計算を台無しにする方向に働いているんだけど、これはこれで悪くないと思った。21世紀にはグランドオペラ形式はゆるすぎる。グランドオペラより新しい巨大物語処理方法であるシモンズの『ハイペリオン』形式が世に出てから20年たとうという昨今だ。同じグランドオペラでも未来神話の域まで到達してしまったロビンスンの火星三部作が出てから20年だ。『インディペンデンス・デイ』だって今見ればゆるい。物語もいつまでも昔のままではいられない。 本作の魅力は、この(ちょっとコッポラに似てきた)スピルバーグの「ワガママ完全主義」とマイケル・ベイ「幼児性バイオレンス」の異種混合によるものだと思う。 ネタがネタ、映像が映像なので、当然ながら本作は画面の後ろで猛烈に記号が動き回っている。イラク的状況をアメリカ国内に持ち込むのは今や珍しくなくなったが、少年と「初めての車」のシャイな関係も一緒に描く。様々な側面からメカに振り回される人類の姿が登場して、それが本作独自の(画期的なほどすっごく低い)次元で語られ、試されていく。 『クリスティーン』のようにもったいぶる事もなく、『ナイトライダー』のようにショボくもない、正義の自動車(爆笑)。そのガキっぽくて直線的でバカバカしい潔さは、新鮮ですらあった。 …観方を変えると、ここまでダイレクトだと原典トランスフォーマーそのものを超えて、実写版『宇宙家族カールビンソン(おとうさん関係のエピソード)』と思えなくもないんだけどね(つーか意識してる?)。ま、そこも含めて良かったです。 ●追記: 余談。 ふと気になって、3大ロボットカー物であるナイトライダー/クリスティーン/トランスフォーマーの発表年代を Wikipedia で調べてみた。 ・ナイトライダー、1982年~ ・クリスティーン(原作)、1983年 ・トランスフォーマー、1984年~ ・クリスティーン(映画)、1984年 指摘するまでもなく、あまりに集中しすぎている。いったいこの時期に何があったんだ…? ちなみに当時FENのテレビが入る場所にいたので、ナイトライダーはリアルタイムで観てました。あのショボさがたまらなく好き(笑)。 |
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