|
プレステージ(2006)(2006年【米・英】)まあこの程度の掟破りは事前に折込みずみだったんで、別にビックリぁしませんでしたが。
むしろ、当時の科学者の方が山師がゴロゴロしてて怪しげなんだけどなあ…テスラじゃなくてマルコーニを頼ってたら、絶対あの装置で自分自身がショーしてたろうなあ(笑)。 …とまあ全般的に、当時揺籃期にあって怪しげな学説が噴出してた1900年前後の電磁波学へのタッチが儀礼的なのには不満が残る。けどまあそこは話の主眼じゃないし、クラシカルなSFファンにしてみればこの「儀礼的な扱い」がある作品を連想させて極めて心地いい。 『蝿』(『蝿男の恐怖』の原作)は20世紀初頭の物語だが、冒頭はこの世紀に社会生活の根底を覆した装置としての「電話」への愚痴で埋まっている。曰く、夜中であっても、相手もわからなくても、ベルが鳴ったら出なきゃならん。相手は機械だから持ち主の身分なんか知ったことじゃなく、貴族だろうが王族だろうが鳴る時は鳴る。その機械の横暴ぶり、非社会性、傲慢な性質が科学妖怪である「蝿男」を誕生させる素地になっているわけで、つまり『蝿男の恐怖』はかなりベタな、直線的な、一枚の画にまで集約可能なネットワーク社会批判なんだな。 もちろん電話が陳腐な装置に堕してしまっている現代人的には「電話のベルがうざい」って話から「蝿男の恐ろしさ」へイメージを飛躍させるってのは無理な話。本作『プレステージ』のように科学関連部分の「未知への憧れ」や「来るべき世界」をちらつかせながら、そこまでで寸止めにして、エンターテインメントとの線引きを厳密にする方が無理がない。テスラの引き際は特に見事だった。 …というわけでですね、オイラからすると本作は『蝿男の恐怖』シリーズ、『ザ・フライ』シリーズの華麗なる亜種であって、あいつらより遥かに価値のある作品だと思うんですよ。 SFネタの混ざり方がキレイでないのは欠点として無視できないんだけど、それでも各所での主人公たちの執拗な探究心が、あの装置を生むに至る原動力である事を考えると、「マッドサイエンティストもの」の亜流である事は異論を挟む余地がないと思います。 古い、カビの生えたようなネタの見違えるほどのブラッシュアップ。これはすれっからしのSFファンには驚愕です。まだこんな手があったんかい、と。 息つくヒマもない悲劇・悲劇・悲劇…つうドラマ性にちょっと疑問は感じますがね(各々の展開に意味があるので充実はしてるんだけど)。もう少し笑いを挟もうよ。ていうかその役はマイケル・ケイン卿、貴方の仕事のはずだったのでは? …と、書き終わってからレビューページを見直してて気付きました。 原作者クリストファー・プリースト? 『スペースマシン』や『ドリームマシン』や『逆転世界』のクリストファー《ちょっとクセのある技巧派でラストに無理などんでん返しを入れたがるブリティッシュSF界の重鎮》プリースト? 最初からこれ、SFインサイダーが歴史SFとして書いた原作じゃん! いやぁネタを隠して、よくこういうスタイルで映画化してくれました。 だとすると…原作読んでないから何とも言えんが、テスラだけはやめた方がよかったと思うぞ。手垢つきまくりだから。オイラならマルコーニかベクレルか、あたりにするぞ。 |
|