SCAT/くちずさむねこ(2007)

 

原子怪獣現わる(1953年【米】)

7点にしちゃうけど、物語史を考える上では重要な作品だと思う。今日に至るまで見てなかったというのを恥じた逸品でした。

前半のシナリオの素晴らしさがもう沁みて沁みて。『トータル・リコール』の30年以上前に、こんな凄いモノが撮られていただなんて。

本作にぶら下がる作品群を思いつく限り列挙してみると、

『Arctic Giant』(1942)
『遊星よりの物体X』(1951)
『原子怪獣現る』(1953)
『ゴジラ』(1954)

…つまり本作は怪獣モノの黎明期の一連の流れに組み込まれていて、全ての部分が独創的というわけじゃない。でも、登場人物たちが全く異界の存在である《怪獣》とどう向き合うか、という部分が深く掘り下げられ、後に乱発される怪獣映画たちの磐石の基礎を提供している。
本作の凄い部分は、怪獣リドサウルスの設定が全くいい加減で、厳寒の北極で暴れまわるわ水中をノシノシ歩いて移動しちゃうわ意味なし攻撃癖があるわ…冷静に考えて主人公の恐怖が画になったファンタジー的存在としか思えないところ。それがいつしか画面の全部を奪って、物語の流れまで奪い、映画そのものを席捲してしまう。妄想が、狂気が、ファンタジーが、画面を、映画を占拠してしまうのだ。ラストの方は、まともなセリフすらない。
主人公の狂気が一人、二人と周囲の人間を飲み込んでいき、やがて大都会の全てにまで伝染する。この過程が実に心地よく、安心できるように描かれていて、妄想や狂気へ傾斜していく気持ちよさが非常にポジティブに描かれている。これはまさに『トータル・リコール』が正面から取り上げたテーマだし、あらゆるSFは少なからずこのテーマの周囲を回っているのだ。このメンタルなバックボーンを理解して、丹念なディスカッションにまとめたシナリオは、ゴジラの数倍の敬意をもって、本当に敬服に値する。

被害妄想から実弾が飛び交う戦争に至るまでの赤裸々な物語でもある。この映画の製作時期は、まだナチスの記憶から醒めていない頃。だから本作は説得力をもって当時の観客に迫った事だろう。「戦争の脅威など海の向こうの話さ」なんて思っていると、いつの間にか敵に上陸されてるぞ…と。
人々が脅威に飲み込まれていく様は「911とその後」を連想させて、ハッとさせられるものがあった。
『クローバーフィールド』がやろうとしていた事は、911以後における本作の見直し、視点の変更だったんだ…と今にしてやっと理解した次第。

余談ですが、「背びれが一列」というのには苦笑してしまったっす。
エメリッヒの『GODZILLA』の製作時、タトプロスがデザインしたイグアナゴジラを見て、東宝の重役が「背びれは1列ではなく3列にしてくれ」と懇願した話を即座に思い浮かべましたよ! そうでないとあの映画、完全に本作のリメイクになっちゃって、ゴジラの存在意義が問われちゃうからだったんですね!(爆笑)
いや本当、ゴジラの意義は限りなく薄くなってしまったなあ…自分的には。ビル群を見下ろしながらノシノシ練り歩くゴジラより、ビルの影が落ちて目まぐるしくシルエットの変化するリドサウルスの方が、リアリティがあって恐怖感が強かったです。
普段の生活に密着した光景から遊離しながらも、そこに何らかのリアリティを求めてしまう姿勢。これこそがSFの、ひいては科学の持っている揺るがし難い「狂気」の具象化なんだと思います。

●2009/5/23 追記:
"The Beast from 20000 Fathoms" というこの原題! いま気付いたけど『海底2万マイル("20000 Leagues Under the Sea")』を意識してるのかぁ! 深海に「行く」んじゃなくて、向こうの方から「やってくる」ワケっすね。
ちなみに Fathom は日本語に訳すと「尋(ひろ)」。水深を現す単位で6フィートだそうです。つまり 20000 Fathoms は水深 36576m(地球にゃそんな深い海底はねーよ (-_-;)。船乗りが使っていた古い海事用語ですな。
ここから派生した言葉で「fathomable(測定可能な/理解可能な)」という言葉がある…と goo 辞書が教えてくれた。なるほど。奇をてらったタイトルに見えて、こりゃあ深いぜ。水深 36576m くらい。
評価:7点
鑑賞環境:DVD(字幕)
2008-12-21 00:44:42 |  | コメント(0) | トラックバック(0)