SCAT/くちずさむねこ(2007)

 

リアルタイムに時をかける少女

宿題だったアニメ版『時をかける少女』を観てます。
いま15分目…イメージシーン、いいかげんマッドハウスな演出には飽きてきたな…。

SFってのは時として暴力を振るう瞬間があって、科学者役の誰かが「ん~、我々の住む世界を4次元から眺めるとだね…」なんつって、受け手を意味不明の論理で煙に巻くわけですよ。
ここで、物語の、受け手に対する態度が決定するわけです。納得しやすい事例を出すかどうか。また納得できなくても既に物語の勢いが増していて、止まれない状態になっているかどうか。SFが嫌われる大半の理由がここ、物語が受け手に対する暴力のバランスを欠いているからだと思います。
んで時かけ16分目。いきなり「それはタイムリープよ」なんて言われてもねェ…話の枠組みをジャーゴンで規定しようとするのはファンタジーの手法に近い。オイラならこの言葉は、もっと物語が進んでのっぴきならない状態になるまで控えておくなあ。
ストーリー自体の緩急は極めてスタンダードで安心できるので、まあクラシカルなSFだと思えば(事実、筒井の原作は古典の域に入ってきてるし…)問題はないんですが。でもレトロを標榜する新作SFって何よ、って気がしないでもないんですがね。ここ数年。

数秒後。
このシーン自体が、そういうレトロなSF展開へのオマージュだというのを示すオチ。
やられたわ…。

25分目。
あ、あからさまにアウルクリークネタで来たか…そりゃ評価も高いわ。
SFじゃなくてファンタジーじゃん。
物語は基本に忠実、これが一番なんかねー。

70分を過ぎて、物語の全体軸が明かされた途端、とてつもない作品だというのがわかった。
これ、原作の名前を借りた映画化じゃなくて、原作の「やり直し版」だったんだ!
静の主人公から動の主人公へ。行動の違い、展開の違い、全て180度変わっている。当然だ。『タイムトラベラー』が《待つ女》のメタファーであるなら、本作は《迎えに行く女》を中心に置いているから。
それは70年代から2000年代への時代の変化でもあるし、社会における女性の役割の変化でもある。本作の射程は物凄く広い。あくまで単品ではなく、オリジナルとの位相差によって浮かび上がってくる部分の話ではあるけれど。

本作の上映時、正直「電話ボックスの時代から携帯電話の時代になったってのに、今さら時かけかよ…」というのが第一印象だった。
その時代のギャップにキッチリ答えを出したというのは素晴らしい事だし、さらに言えば今の世相が70年代風に、またぐるっと一巡りしたんだという感慨も抱かせる。そして物語中で陰画的に語られる未来像が、この「時の螺旋階段」という光景が見えてきた途端に、不安と希望を同時に抱かせる奥深い含蓄をもってくる。
原作『タイムトラベラー』の時間軸からすれば、本作の観客はすでに「未来人」だ。この30数年間にやってきたこと、やれなかったこと、やるべきこと。それを味わえる作品。
未来と同時に、過去も向いたSF。
遠い遠い将来、たぶん次のリメイクがあるだろう。本作は時をかけて、まだ深化しているとも言える。