SCAT/くちずさむねこ(2007)

 

エコール(2004年【ベルギー・仏・英】)

いつの間にやらR&Aさんのレビューが入ってたので、ちょっと反論的に補足をば。
まあ本作については以前ここにも書いてはありますが、今回は原作との差異に軸足を置きます。
監督の前作『ミミ』の方は観てないんで、(たぶん強烈なフェミニストであろう)監督の人間像は推測なんですが。

【元レビュー】
悩む…。
とりあえず「表現主義をナメんなよ」と言っておくか(笑)。
でも、原作への過剰なほどの気遣いが感じられ、まだ正確な評価が出せません。
撮影は素晴らしかった。これだけは間違いありません。フィルムに撮れるギリギリの光量を知り尽くしたカメラマンだからこそやれる、自然光の美。だがオイラの評価は、そこにはない。
これも後でレビュー再考だな…。

追記 2010/8/26:
これですね、この作品、あの倒錯に倒錯を重ねた原作を読んでると(そしてこの原作から生まれたもうひとつの作品が『サスペリア』である事を踏まえると)、「ざけんじゃねえ少女をオモチャにすんなヨ」という監督の叫びが聞こえてきます。少なくともオイラには。
この映画って、妄想部分が極めて少ないんですよ。全体構成の象徴性は別として、エピソードやバックボーンは極めてリアル志向です。
原作だとあの学校はほとんどSFと言って差し支えなくて(だからオイラがそのシステマチックな壮大さに惚れ込んじゃうんだけど)、たった数人のプリマを生み出すために膨大な量の子供たちが養われています。身の回りの世話をする老婆たちの量もかなり充実。もう、第一次大戦前後のヨーロッパであの規模の学校を維持できる国はひとつもないでしょう…ってな勢いです。
そして、そんな学校に専用の地下鉄まで整備されているのが明らかになり、外の世界に行ってみたらプリマである主人公は、アイドルを超えてほとんど王妃級の感じで果てしない群衆に囲まれ、一身に歓待を受ける…それまでの内省的な展開から、加速度的にこのラストへ至るのでちょっと来るモノがありますけど、やはり常人の発想を超えた誇大妄想ですな。さすがは狂乱作家フランク・ヴェデキント。
こういう部分が映画では逐一、「もしかしたら可能かも」程度の、リアルな身の丈サイズに縮められてるんですね。あの地下鉄のレトロ具合を見たとき、さじ加減の絶妙さに唸りました。
んでこの小宇宙で、原作にはなかった「外の世界への疑問」が定期的にぶりかえされる。少女が持つ未知への憧れという側面はあるでしょうが、存在不可能なレベルだった原作を造り直した結果の「世界の強度試験」としても機能しています。オリジナル通りなら、問いを発する事自体が作品世界の自己否定になりかねませんから。
思うに、監督はこの少女ワールドを現実のモノとして捉えさせたかったんじゃないかと思います。妄想の産物に押し付けるのではなく「この世界は私のものだ」と言いたかったんじゃないかと。
あと原作では幼少時の主人公たち、裸のまま少年たちと一緒に育てられるんですが(後に眠らされて棺桶に入れられ、それぞれの学校へ運ばれていく)、そこもバッサリ切られて亡きモノとなってますな。

もうひとつの重要な改変に、公演での踊りの内容があります。
原作では(さすが『ルル』の作者と言うべきか)、劇中、論理を欠いたメルヘンに殺人が埋め込まれ、人体改造までやってる。キャバレーの生みの親である放蕩作者の妄想が全面に押し出されます。そして間接的に、少女たちが学校を出るとどういう世界に足を踏み入れる事になるのか…そこもちゃんと暗示している。原作の作品世界は、どう考えても「世界規模の超巨大キャバレー」の裏側にある「踊り子養成施設」なんですな。
この舞台シーンも映画を観る前には「どーやって実写化するんだよ」と不安だった部分なんですが、バッサリ切った。英断というか、これがなかったら作品の意味合いが180度変わってしまうくらいの大転進だと思います(元レビューでは、ここの部分が主な不満だった)。
パンフのインタビューで、監督は「原作で気に入らない部分は作品に入れなかった」と言っているので、まず間違いなく、確信犯的にこれをやってる。監督の作りたかったのは「少女の純粋培養のための完璧なシェルター」であって、何のためにそれが存在するかは一切省いてしまった(学校を出た少女が特にアイドルでも何でもないのは、ラストシーンで明示されてる)。

ここからは推測。
というかまー以前の記事と同じ内容ですが、監督はヴェデキントの原作にある「世界の仕組み」自体は好きだったと思うんですよ。でも、何のために少女たちが護られ、純粋培養されているのかという部分に「生命の本質」を持ってきたんだと思うんですね。
原題の「ミネハハ」→「笑う水」→「噴水の泡」→「精液の暗喩」という映画版の独自解釈が、それを補強しています。噴水の水のクローズアップで終わるこの映画は、映像的に冒頭シーンに戻ってしまうので、また新しい生命誕生の象徴的モンタージュへと繋がって行くわけです。
だから、監督の主張は「その後の人生はいらない。考える必要もない。新しい生命へと続いて行くことがすべて」という、相当ラジカルなものだと思うわけです。
原作者ヴェデキントが捉えていた「玩具としての雌性」に対する、強烈なアンチテーゼ。そもそも彼は女嫌いで有名だったしね。そしてこれはもちろん『サスペリア』の病んだ世界(と、そもそも病んでるダリオ・アルジェント)へのカウンターパンチでもあります。

映画館ではこういう捉え方で観てましたので、要所に挟まれる少女のヌードも全くエロいとは思わなかった。むしろこの世界観で必要な部分でしか、脱がない。原作通りならもっと子供の脚に対する過剰な執着(オリジナルの主人公たちは生まれながらのバレリーナなので、言葉以上に脚で語り合う)があってもいいはずなんですが、それもスカートが短い程度。
本作は、原作との大きな位相差の中に深遠なテーマが隠れていると思います。現実世界では護り切れない何かを護るための、少女世界の鉄壁の理想郷。それを提示することが、この映画版の目的だったんじゃないかと思うわけです。

熱く書いたし、1点UPしとくか(笑)。
評価:8点
鑑賞環境:映画館(字幕)
2010-08-26 18:20:11 | 実写作品 | コメント(5) | トラックバック(0)
うーん、となると、原作との差異そのものが素晴らしいってことで映画が素晴らしいってことにはならないような。

>要所に挟まれる少女のヌードも全くエロいとは思わなかった。
私もエロいとは思わなかったけども、エロいと思う人がいることをこの監督は知っていて(だって『ミミ』作る人だし)、そのうえであえてヌードを出してるんです。
それにミニスカートはじゅうぶんエロいと思いますよ。超短いしアングルも意図的に少女をエロスの対象として見ることを促しているように思いました。原作と比べてエロくないというのは映画だけを見る者には通用しない原理です。といってもレビューでも書いてるつもりなんですが、少女をエロスの対象にすることが悪いってことじゃなく、じゅうぶんにエロスの対象としてとらえられる絵づら(ミニスカート然り、水遊び然り、それらのシーンの存在理由が他にあるでしょうか?)なのに作り手は少女をエロスの対象としてはとらえていませんよって言ってるようなお話なのがどうにも気に食わないというか。
この私の感想自体も映画そのものの評価としてはずれているんでしょうけど。

受信日時:2010-08-27 17:26:46( R&A さん) 
あとちょっと。

お話が少女をエロスの対象とはしていないってところはエスねこさんと一致してるところではありますか。

ま、同じ年代の女の子の父親としての過剰反応もあるかもしれません。
受信日時:2010-08-27 17:28:24( R&A さん) 
いやーどうなんだろう…オイラ的には普通の生活では隠れている部分が、率直に、無造作にポンと投げ出されているような気がしてます。被写体の同族にとっては共感がわく描き方なんだろうと思うし、逆に被写体へ同化できない人にとってはそれこそがエロの根源なのでは、という気がしなくもないですね。
だから、本作でエロとエロでないものは両立していると思います。ただそれでも、オイラは監督が同族(フェミニストたち)に向けてこれを作っていて、それ以外の観客は「エロいと思うなら思えば?」と切り捨てて or 無視してるような気がするんですわー。
受信日時:2010-08-28 01:01:48( エスねこ さん) 
本作みたいに原作のキモを完全に抜き去って、真逆の主張をしてる場合、比較しないとわけわからんようになるんじゃないかと思うんです。
文学ってそもそもそういう部分があって、過去の作品を少しづつ本歌取りしながら発展してますから(つまり、単品で評価すると危険な作品がある)、これが「小説」なら十分そういう比較ベースの解釈が成立します。

で、映画でもそういうのは皆無じゃないワケですよ。
本作よりもっと激しく原作へのアンチテーゼを突きつけたのがレビンソンの『ナチュラル』で、これは本当に凄いと思いました。どちらも神話的な世界を現代で再構築してるんですが、たった一箇所だけ決定的に違う。レビンソンはその一点に賭けるべく、周到な伏線を張ってます。また(こまいエピソードですが)映画の方では、おそらく原作者はスポーツ記者として登場している。ハブスと記者のやり取りは、かなりきっつい原作批判になってます。
原作との対比において、『エコール』が『ナチュラル』級かというと、決してそこまで見事ではないと思いますが…『スターシップ・トゥルーパーズ』級にはリスペクトを払って論陣を張ってると思います。
受信日時:2010-08-28 01:14:07( エスねこ さん) 
このコメントの問題点。
1)喜八郎が死んで動転中。
2)したたか酔ってる。
3)明日から1ヶ月ほど、ほぼネットに繋げない世界に行ってしまうので、議論が成り立たなそう…。

19世紀風な往復書簡みたいな感じで捉えて頂ければGOODかと(苦笑)。
受信日時:2010-08-28 01:23:23( エスねこ さん)