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王と鳥(1980年【仏】)2011/12/3、この作品のキモが突然わかったので追記。
【元のレビュー】 かんたーたさん、ほとんど私信ですんません(笑)。地下世界の、ヘタクソなライオンのシーンは(オイラの記憶では)旧作にはなかった部分。『暴君』ではもっとアッサリと地上へ出てきたような気がします(まー小学生時代の記憶だからなあ…)。たぶん今回の書き足しシーンです。『暴君』の製作時、グリモー監督はクォリティを守ろうとして作品をいつまでも完成させず、プロデューサーが未完成シーンを無断でイギリスへ発注して補完し、強引に公開した…っていう経緯があるので、新作パートではあんまりクォリティを下げて欲しくなかったってのが本音ですけど。でもやっぱりグリモー監督の「生涯反骨」ってな努力と根性には頭が下がります。作品の所有権を争う裁判でも負けちゃって、「自分の作として作り直したかったら買い取るしかない」って状況に追い込まれ、それでも堂々と買っちゃうんですもん。徹底した芸術家魂というか、全て自分の手掛けたモノでなければ、自分の作品とは呼ばないんでしょうね。だから、ヘタレなライオン君ではありますが、オイラはあのシーンでも監督が誇りを持って描いてるんだろうと推測してます。 2011/12/3 追記: 戦前から終戦にかけて、鳥と子犬はグリモー作品の中で特定の記号を背負っている。 「かかし」「避雷針泥棒」「魔法のフルート」などの短編作品群を観れば、これはもう一目瞭然で、鳥=自由(そしてプロパガンダを叫ぶもの)/子犬=庶民(弱くて無能で浅ましい)という位置づけ。そして本作での鳥と子犬は、過去の作品とは微妙に役回りが違う。子犬は警察に飼われてる「敵」だし(相変わらずマヌケだが)、鳥は成長し弁舌巧みになった。 グリモーが常に政治性のある作品を描いてきたことを考えると、この微妙すぎる変化は彼の「後悔」なんだろうな、とようやく気づいた。 大戦が終わってみると、鳥ってのは明らかにアメリカの役どころだったわけで、陰鬱なナチスの統治からフランスを救った彼らは、同時にフランス全土を焼き尽くしもした。市民は「自由」の奴隷になって、以前よりはマシだが本当のところはどうかわからない生活を送っている。それが『王と鳥』発表の1970年代当時の世相だ。 この時期、グリモーは他に暗ァ~い映画ばかり作っている。鳥から飛行艇へ乗り換えて植民地主義をやらせてみたり、子犬は面白半分に核戦争を起こして世界を破滅させたり…。 彼の怒りは、到来するはずだった幸せな世界が結局訪れないのだとわかった、その虚しさに由来するのだと、今さらながらに気づいた次第。 本作だけを観たら、作者のその微妙な心の襞、記号の綾を見失うだろう。グリモーその人を理解して観るべし。そうすればこの作品から、アニメや、アニメ作家や、芸術なるもの全体を包み込むメタファーが観えてくる事だろう。 宮崎をはじめ、ジブリの古強者たちが本作のデジタライズに踏み切った理由も、多分そのあたりにあると見た。 『王と鳥』は「強い失望」を逆説的に創作のモチベーションにした、危険な危険な作品なのだ。 2011-12-04 00:13:19 | | コメント(0) | トラックバック(0) |
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