まるで『影武者』を観に行ったかのようでした。上映終了後の館内の状況が。誰も立ち上がれない。うずくまっている人、多数。そもそも3D作品のクセにレイトショーのみで、1200円で観れちゃうって価格設定がいけなかった。青い顔で席にボーッと座り続けるお爺ちゃんお婆ちゃんたちの屍の山に、そんな事を考えてました。
そんなオイラも、上映開始10分後には猛烈な吐き気で「こ、これはもうムリかも…」と腰を浮かすところまで行った。洞窟内のあまりに強烈な遠近感、手持ちカメラで揺れまくる画面、そして観客の都合なんて知ったこっちゃないヘルツォークらしさ全開のカットつなぎ。この映画で3D初の死者がでたとしてもオイラ驚かないっすよ。
でもね。
「辛さの中に旨さがある」とか言う気はないけど、この過酷な映像を通してでなければショーヴェ壁画の凄さはわからない。美術館や本じゃ絶対気づかなかったはずの、デジタル3Dだから「感じられる」、古代アートのキモがわかりました。
百科事典の写真みたいに、四角く切り取られた絵なんてどこにもなかった。岩の凹凸に合わせて、また洞窟の特定の位置から見ることを想定して、絵はパースがかけられたりぶっちぎれたりしている(岩の角を曲がると別の絵になってたりする)。魔術的で直感的で、その場に居合わせて感じることで、初めて理解できる絵。
またおそらく世界最長の長期連載マンガだという事実も、タッチの変化や重ね書きの跡がわかるおかげで理解できる。同じ壁面に描かれた動物たち、初期と後期で5000年ほど時代が違うそうです。その間に技法が豊かになり、実験も多く行われ、まるで日本の滑稽本の挿絵みたいだった線画(いやマジで鳥獣戯画とかそんな感じ)が、面を意識したシャガール的なものに変わっていく(シャガールと原始時代が、かなり奥深い所で繋がっているのを感じられました)。
オイラがこの映画をオススメすることは絶対にないですが、自分的には世界観を大きく広げる事ができました。「その場所に居るように風景を体験できる」という意味でのデジタル3Dの利用価値は、間違いなく本作の存在意義そのものです。こんな、世間から「なかったこと」にされてしまいそうな映画でも堂々と、強引に、無謀に撮ってしまうヘルツォーク監督に感謝。本作では、この人の映画界における存在意義も最大限に発揮されたのかもしれないっすね。
エンディングの悠久感も評価に値します。まるで未来からやってきたかのような光景(ただし現代文明滅亡後やね)がご近所に広がってるなんて、着眼点が素晴らしすぎ。案外、真のテーマは古代人や絵そのものではなく、そこから垣間見える《我々現代人のちっさい時間感覚》自体なのかもしれないです。