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王の七つの森さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 188
性別 男性
自己紹介 ・・・・最初に投稿してから4年近くたとうとしています。
これからも、細々とでも投稿してゆきたいと思っています。

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1.  武士の一分 《ネタバレ》 
役者さんの演技は皆さん一生懸命できていて気持ちのよいものです。・・・・・とはいえ全体としてのまとまりは欠け、個々の展開も説得力がなく、しかも退屈だし、惨めな作品でした。面白くも何ともない。・・・・例えば、最後の鳥かごのところとか、・・・一羽死んで、残りを自由にして、かごを焼いて、直ぐに奥さん帰ってきて、新しいかごを買わせようとして、あまりにあわただしくとってつけたような展開では、象徴的な意味を味わうゆとりなどありません。・・・或いは、決闘のシーンにしてもどうして脇差しをおとりに捨てるのか、どうして屋根からの攻撃をかわすことができたのかなどに説得力を欠いています。・・・また、木村側にも、坂東側にも「武士の一分」があったわけですが、それが考えさせるものとして殆ど提示されていない。・・・・一連の山田時代劇で描かれる男女の感情、行動様式は、昭和期のそれであり、江戸期のものとはとても思えません。一時代前の感情や行動様式を、相当に古い時代に投影して描かれても、なんの想像力も刺激されないというか、そんなところです。
[DVD(邦画)] 2点(2008-01-01 21:19:31)
2.  フラガール 《ネタバレ》 
テーマ自体が非常に興味深いのですが、脚本がそれに見合っていないという印象でした。・・・・・典型的なのは、駅のホームで松雪を呼び止めようとするダンスのシーン。ゆったりとした美しい踊りです。前半の方で松雪に仕草の意味を解説させています。見る方は、それを曖昧ではあっても覚えている筈で、その空間と映像を楽しもうとしていると、車中の松雪に仕草の意味を語らせてしまう。するとその空間と映像は言葉によって破壊されてしまう。・・・・・・最大の問題は、リズム感のある踊りとゆったりとした踊りとのバランスが配慮されていないことかもしれません。だから全編を通じて、フラダンスが魅力的なものに感じ取れない。後半で富司純子が見る蒼井の踊りも、「花とアリス」での踊りと較べると美しくもなんともない・・・・・また、色々な要素、サービスを入れ込みすぎで、全体としての調和、統一に欠けている印象も強いです。・・・富司純子は浮いちゃっていますね。どうしてストーブを集め始めるのかもわかりにくい。また会場の木陰に隠れてステージを見るシーンは漫画です。・・・・それに寺島進の役どころもなんだかわかりにくい。後半の橋の上のシーンもどういう意図なのでしょう。・・・・・・・・興味深いテーマなのに、奥深さのない映画でした。
[DVD(邦画)] 7点(2007-12-04 12:19:10)
3.  梟の城
とにかく色彩が豊かでした。それと神社仏閣や瓦屋根やら茶室やら、美しく画面に広がっていました。それだけの映画でしたが、それだけでも酒を飲みつつ、ぼぉーと見ているには良い映画でした。・・・・・・・・・・・・中井貴一という俳優は、真面目すぎてというか、自意識が強すぎて、他の役者との調和を壊してしまいますね。その配役に没入するのはいいけど、そのナルシズムのおかげで、一人浮いてしまい、映画が壊れてしまいます。「壬生義士伝」もそうでしたし、この映画もそうだと思います。・・・・鶴田真由さんは綺麗ですね。こんなに綺麗な役者さんだとは知りませんでした。・・・・岩下志麻とかあえて出す必要なんてないのに。・・・・・・・・この映画を象徴していたのが、終盤の秀吉の寝室でのシーンでしょうか。中井貴一の過剰な演技、マコちゃんの木訥として素人調の演技、ばらばらで全く見るに堪えませんでした。結果として、秀吉というのは個人が作り出すものではなく、全体の状況が作りあげてゆくものだ、という重要な発言が完全に霞んでしまいました。・・・・・・・最後の20分ほどは酷いですね。五右衛門の話なんて別にいらないのに。
[CS・衛星(邦画)] 6点(2006-11-28 09:12:11)
4.  武士道残酷物語 《ネタバレ》 
若かりし萬屋錦之介の熱演を除けば、映像芸術としてはあまり面白いものではないかもしれません。(しかし30歳そこそこの萬屋、すごすぎ、、、、淡路恵子が、萬屋はほんとにすごかったといつもいっているが、確かにすごい演技力。10代の小姓から60くらいの老人の役までまったく不自然でない、、、、、)、、、それと全体の構図は、江戸時代の藩=明治以降の国家=戦後の会社=個人を圧殺する家組織、とらえ、その家組織に、いかに従順に男達が自己を埋没させてきたのか、そして女達がその犠牲になってきたのかを綴る、というもので少々単純化しすぎかもしれません。特に、江戸時代の武士のとらえ方は、あまりにステロタイプかというか、一面化しすぎなのは確かでしょう。、、、、そして「武士道残酷物語」というから、最初から2/3は、こんなお話の連続なのぉ、と見ていて退屈なことも否定できません。、、、、、、、しかし、特攻隊の話に展開するに及んで、いいたいのは、戦争の時にお国のためということで自分を全体に優先させてきた行動様式は、実は江戸時代からの武士の行動様式であり、さらにその行動様式は戦後の会社社会でも続いているではないか、という訴えが確かに、響いてきました。、、、、或いは戦時中、そして戦後、個人がいかに集団の犠牲になったきたのか、という思いが伝わります。、、、、、21世紀のグローバル化が進み、自己利益追求型の行動様式が多数派となっているように思われる現在では、とても想像しにくい問題意識なだけに、戦後の日本の歩みを辿る上でも、大変に貴重な歴史的遺産となる映画だと思います。、、、、、、ただ題名の付け方がよくないですよね。例えば「飯倉家の~」とか「武家の~」とかの方が、よくなくなくないかと、、、。
[DVD(邦画)] 9点(2006-03-02 22:59:41)
5.  フルメタル・ジャケット 《ネタバレ》 
この映画、アメリカの言葉が相当にできないと、その真価は理解できないのかもしれない。、、、、前半の訓練施設での新兵洗脳教育は、教官による言葉の暴力を主たる手段としているわけですが、その下品さかげんは字幕からは実感としてつかみにくいわけです。、、、また、最後のミッキーマウスも、「サザエさん」の歌とか、「ひょっこりひょうたん島」の歌とかに、置き換えて想像してみないと、その狂気性は実感としてはわからないわけです。、、、、、、という点を留保しつつも、それでも、私は、この映画を名画として評価する諸論評には違和感を感じざるをえないのです。、、、、、、というのも、この映画は、戦争を狂気と捉え、その狂気が、訓練所で培われ、戦場で実践される過程を描こうとしているように思えますが、本当にそーかぁ、と思うからです。一般の社会ではフツーだけど、軍隊に入ると狂っちゃって、ばんばん人を殺し始めるのだろうか。、、、、、というより、戦争の狂気というのは、一般の社会の中から生まれるのではないか。「スターリングラード」とか見て、新聞に狙撃殺害した人数が増えるのを肯定的に感じたり、今日は2人狙撃したとかいう会話に、「やったね」とか感じたり、額に銃弾の後と血飛沫が舞って倒れる光景を見て痛快な感じがして、死んでゆく一人一人の人間に生活、夢、家族があったということが想像できなくなること、そーゆーのを狂気の事始め、ってゆーのではないだろうか。、、、、結局、キューブリックは、自分は正常な一般社会の人で、戦争の狂気を一歩離れて、客観的に見ていると考えているのではないだろうか。要するに、彼にとって、戦争は他人事になっているのではないだろうか。、、、、、、それと、ベトナム戦争を描くなら、1)不正義の戦争であったこと、2)アメリカは負けたのだ、ということを前提にして欲しいものです。
[ビデオ(字幕)] 5点(2005-05-21 07:59:32)
6.  ブラザーフッド(2004) 《ネタバレ》 
戦争や弾圧で死んだ一人一人に、弟、妻、父、母などなど、その死を慟哭する肉親がいるわけです。だから、戦争で死んでいった一人の兵士の姿を描くとき、他にもいっぱい、「同じように」、死んだ人がいるんだ、ということを想像させる、というのが戦争映画の大事なお約束だと私は考えます。、、、ラスト、兄の遺骨にすがる弟を見て、何十万という、この戦争で死んだものたちへの哀悼の気持ちを感じることができるでしょうか。、、、兄は、弟を助けるために、同胞を殺しまくっただけで、他の同胞と同様に死んだ、とはとても思えない。、、、、、兄弟の絆は、同胞の命よりも尊いということなのでしょうか。、、、戦争は人々の意見、感情の対立から生じる政治的なものです。家族は、政治的なものよりも尊いのよ、というのも確かに一つの考え方ですが、そういう考え方に従うと、戦争について説得力のある語りはできないと私は思います。、、、個人的な恋愛感情よりも、祖国統一を選び、最後まで金正日に銃口を向けた「シュリ」のラストは何だったのだろう。とても同じ監督の作品とは私には思えませんでした。、、、ということで、私には、この映画は、自分たちもプライベートライアンのような映画が作れるんだい、韓国映画は、大国アメリカ映画にも肩を並べたんだい、という虚栄心の誇示のためのものにしか見えませんでした。、、、、、ただ、南の軍隊が、強制連行のように形成されていく過程や、相当に暴力的なアカ狩りが行われていたことなど、いわばこれまでタブー的であったことにも触れている点だけは評価できると思いました。
4点(2005-03-28 23:44:15)
7.  ブラス!
サッチャリズム(ネオリベラル)は、コミュニティを破壊するのだ!!、という最後の一言で、映画全体に一本の筋がぎしっと入り、それまでの印象が一変しました。そして思わず目頭が熱く、、、、、、さらに、ウェストミンスター(議事堂)に向けて、「威風堂々」。、、、権力がどんな仕打ちをしようと、俺たちは誇りだけは決して失わないのだという決意に、思わず椅子から立ち上がって、スタンディングオベーションでした。、、、、、、、仕事を失うことは生活の不安をもたらすけど、誇りまでも失ってはいけないのだ、ということなのですね。、、、、あと、ちっちゃい車に、でっかい男が5人、くっついて乗っているのがいいですね。コミュニティを象徴しているのでしょうか。窮屈だけど、居心地がよく、どこかユーモラス。、、、、、ただ、難をいえば、コミュニティといっても、この映画のそれは結局、男だけのコミュニティなんですよね。、、、、、、、(あと、労働者階級から大卒でプロフェッショナルになっているグロリアがワーゲンに一人で乗っているところとか、大会がロイヤルアルバートホールで行われるという設定など、興味深いところが色々にありました。)
9点(2005-02-26 09:49:33)
8.  プライベート・ライアン
ライアンが充実した人生を送ることができたと、墓標に頭を垂れるとき、戦闘で死んだ多くの兵士達の死に意味が与えられるようになる。彼らの死は、悲惨であり、一見不合理に見えても、意味があったのだ、役に立ったのだ、、、、、という風にまとめちゃうと、結局、戦争でどれだけの人が死のうと、それなりの意味を見いだすことでできるのだ、ということになり、戦争の抑止力にはなりにくいわけです。、、、、だから、どこが反戦映画なのだろう、結局、アメリカ賛美じゃん、という多くの人の意見に私も同意します。、、、、、あと、一見リアリティを求めているようで、実は、あんましリアルじゃないとも思いました。例えば、被弾による失血死の場合、意識を失ってから心肺停止に至るまでもっと時間がかかるのじゃないかなぁ。、、、それと兵隊さんは、みんなあんなにママ、ママ、っていって死んでゆくのだろうか。
4点(2005-02-16 16:43:43)(良:1票)
9.  ブラックホーク・ダウン
映画を見るって、そこに散りばめられた多数の事柄、映像から、自分なりに理解できるストーリーを作り上げることで、それって、結局、その映画の中に、自分のものの見方、感じ方を見いだすことなんですね。、、、、、で、私には、この映画は、「安易に武力行使という選択肢を選んではならない」という戒め、ある意味では反戦映画にしか見えませんでした。、、、、、マットの理想主義は完膚無きまでに潰え、ヒーローは誰もおらず、ただ消耗するだけの戦闘で、戦いに何の意味も見いだせず、あるのはただ、隣で一緒に戦っている奴のために戦うということのみ。、、、、アメリカの武力行使に何の大義もないということ、一瞬にして手足が吹き飛ばされ、内蔵が飛び出す戦闘がいかに悲惨なものなのかを語ってあまりあると思いました。(だからといって絶対的な非暴力主義が最も有効な手段だとは思いませんが)、、、、、最後の方で国連軍の装甲車などが登場しますが、国連平和維持活動に参加する自衛隊、イラクの米軍に協力する自衛隊が重なって見えました。、、、、、井筒監督は「究極の駄作」と評したそうですが、この映画のどの部分をどのようにつないで物語を作ると、アメリカ礼賛の駄作になるのか、興味深いところです。
10点(2004-12-14 11:45:16)(良:1票)
10.  ブレードランナー
レプリカントが私たちとは異質な悪と感じられたら、この映画は吐き気さえ催す駄作に感じられるかもしれません。(確かに、そういう方向の想像力の発揮もありかもと今、ふと思ったりもするのですが)、、、、、、、レプリカントが求めているものは、限定づけられた命をながらえることであり、それは人間の根源的な欲求と重なり合うものです。、、、だから彼らが延命の術を求めて、街をさまよう姿は、行き詰まった恋愛、隘路に逢着した仕事に活路を求めつつ、虚しく歩む私たち自身の姿を想起させるのです。ヴァン・ゲリスの流れる雨降る夜の街は、そうした情感をさらに強くしてくれるものでした。、、、、そうした彼らに対して、既存の社会は、絶対的な障壁を設定し、差別し、その欲求の実現を暴力的に抑圧する。、、、、、、、それに対して彼らは暴力で応える。、、、彼らの中に、自分達と共通する願望を認め、差別される姿に同感を覚えつつも、その暴力に抵抗感を感じながら映像に見入ってゆくことになります。そしてロイの最後。、、、、自分は、極めて短期間であっても、誰とも違う経験をすることができた、その経験を美しく抱きながら、この先の命を断念しようと、ロイは暴力を収め、運命に従いました。、、、、あまりに美しく神々しい。、、、この時、私という存在も、経験、思い出によって定義される存在であるということが、切々と了解されるのです。過去の想い出は、わたしという現象そのものであるのかもしれない、、、、、、。レイチェルが懊悩するのは、自分を定義してくれる、かけがえのない記憶、思い出が、実は偽りのものであるかもしれないからでした。、、、SFの魅力は、今と違う世界を描くことで、私たちの想像力を刺激し、刺激された想像力で、ふと今の世界を見たとき、今の世界が違った形で豊かさを回復してくれる、というところにあると思います。そしてこの作品は、そうしたSFの魅力を見事に実現していると私は考えます。
10点(2004-06-03 12:06:01)(良:4票)
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