32.初冬、久しぶりのヒッチコック映画を鑑賞。
列車に乗り合わせた厚かましいくらいにフレンドリーな男が、徐々にその異常な本性を現していく様が怖い。
序盤のシークエンスのみでは、列車内で初めて顔を合わした二人の男のどちらが、この映画の主導権を握っていくのか判別が付きづらい。
というのも、私生活においてトラブルを抱え、明確な「殺意」を表すのは、フレンドリーな“見知らぬ乗客”の方ではなく、主人公のテニスプレイヤーの方であり、彼が激情のあまり殺人を犯してしまうのかとミスリードされる。
しかし、次の展開では、見知らぬ男の方の狂気が、不気味に、淡々と映し出され、主人公と同様に、我々観客も戦慄させられる。
このあたりのストーリーテリングのテンポや間の取り具合が、1950年代の映画としては非常にサスペンスフルで洗練されていると思う。
殺人の舞台となる夜の遊園地や、犯行の瞬間をメガネのレンズ越しに映し出す演出など、流石はアルフレッド・ヒッチコックだと思わせる映画術がしっかりと冴え渡っている。
序盤は「交換殺人」というキーワードを主軸にしたサスペンス映画の様相だったが、男(見知らぬ乗客)の本性が現れてからは、この男がストーカー的に主人公の前に出没し続け、殺人を強要していくスリラー映画として、映画作品自体がその“本性”を現す。
その映画的な塩梅も、古い映画世界に相反するようになかなかフレッシュだった。
テニス会場のラリーの応酬に対して一斉に左右に首を振る観客席の中で、一人微動だにせずこちらを見つめてくる男の不気味さや、ラストの“超高速回転木馬”のスペクタクルに至るまで、終始観客の心理を鷲掴みにして離さないヒッチコック監督の映画づくりを堪能することができた。
そしてその“ラリーの応酬”や、ちょっと“廻りすぎなメリーゴーラウンド”は、映画の中で対峙する二人の男の「運命」を象徴させているようで、そういう隠喩表現も巧みだ。
キャストの中では、サイコパスな殺人者を演じたロバート・ウォーカーがやはり印象的。
非常に真に迫った名演だと思えたのに、名前を聞いたことが無いことを不思議に思ったが、この映画の後に32歳の若さで急死したとのこと。
どうやら少年時代から心に傷を追った生い立ちだったらしく、俳優になった後も妻の不倫やアルコール依存等が重なり、精神的な不安と混乱を抱え続けていたようだ。
そんな彼にとって、この作品の役どころはある意味まさに「適役」だったのだろうが、俳優本人の人生の不遇を思うと複雑な思いにかられた。