2.才能の誕生も精神の喪失も、その発端に必ずしも明確な理由や環境があるわけではないと思う。
誰しも、自分自身の才能に期待し、模索し、絶望した経験が少なからずあるだろう。
凡庸で薄っぺらな主人公が、一人の天才と出会ってしまったことで、求めたもの、失ったもの、そして得られてものはなんだったのだろうか。
凡庸と天才が出会うことで、それまで保たれていた琴線は途切れ、痛々しい悲しみが生まれる。
でも、その痛みと悲しみは、両者にとって必要なことだったのだと思える。
もし出会わなければ、凡庸はいつまでも夢見るだけの愚か者であり続けただろうし、天才もまた安全安心ではあるけれど極めて歪な鳥籠の中で永遠に羽を繕い続けていただろう。
いずれにしても両者はそのうちに破綻し、取り返しの付かない悲劇を生んでいたかもしれない。
最終的に凡庸は、自分の存在の意味と居場所を思い知り、天才の元を去っていく。
その様は非常に物悲しい。
けれど、それは互いにとって本当に必要な物を得られた瞬間だったのではないか。
それは彼らにとって必要な心の旅路だったのだろう。
作中ずうっと奇妙なお面を被り続けて“FRANK”という天才を演じたのは、マイケル・ファスベンダー。
この俳優も風貌に似合わず厳しい役柄ばかりを演じ続けている。
この人もかなりキテいる“役者馬鹿”なんだと思う。