15.世界中から愛され、崇拝される唯一無二のエンターテイメントの王国が、その長年の歴史と功績を全部ひっくるめて、新しい時代における“自虐”と“価値観”を示しつつ、新たな「娯楽」を構築されては、そりゃあもうお手上げである。
ジョン・ラセター率いる昨今のディズニー映画に対しては、満足感を通り越し、非の打ち所がなさすぎて逆に苦笑いしてしまうことが多い。
擬人化された動物たちが暮らす王国“ズートピア”を描いた今作。
動物たちのユーモラスなアニメーションそのものは、ディズニーが古くから培ってきた伝統的表現だ。
動物の擬人化と、それが生むファンタジー性は、ディズニー映画の歴史そのものと言っていい。
そのあまりに王道的な表現を、敢えてこのタイミングで主題として扱った意味。その本質が、あまりに深い。
「差別」と「偏見」。この作品のテーマは明白である。
ありとあらゆる動物たちが「平和」に暮らす理想郷(のようなもの)を映し出した今作において、その二つの言葉は、全編通して突きつけられる。
そのテーマの描き出され方は、正直辛辣で、重い。
もしこの映画の主人公が、可愛らしいウサギやキツネではなく、現実社会において社会的冷遇を被っているマイノリティーたちが演じる実写作品であったならば、酷く陰湿で居心地の悪い映画に仕上がっていたに違いない。
そう、この秀逸なアニメーション映画は、その娯楽性溢れる映画世界と引き換えに、それを観ている我々人間の現実世界が、酷く陰湿で居心地の悪いものだということを、雄弁に物語っているのだ。
この世界には、今なお「差別」と「偏見」が渦巻いているということを、世界中の殆ど総ての人は分かったつもりでいる。
我々は、「より良い世界にしたい」と、それらを否定しているつもりだろうけれど、実は当の自分自身が、無意識に、ささやかに、確実に、「差別」と「偏見」を繰り返していることに気づいていない。もしくは、気づかないふりをしている。
それこそが、我々が最も直視しなければならない「問題」だということを、この映画は、小さな主人公の等身大の姿を通じて勇敢に伝えてくる。
「差別」と「偏見」を無くすということは、安直に正論として振りかざせるほど簡単なことではないし、綺麗事ではないのだと思う。
ウサギは弱い、キツネはズルい、ヒツジは大人しい……勝手に貼った“レッテル”を剥がすためには、他人事ではなく、先ず我々一人一人が根気よく自らの“レッテル”を剥がしていかなければならない。