2.「峰不二子という女」、「次元大介の墓標」に続く「Lupin the Third」シリーズ第三弾。
「血煙の石川五エ門」というタイトルの通り殺陣場面の血生臭さは、一般的なアニメとしては度を超えている。「新しいルパン三世」を魅せようとするこの製作チームの“気概”は相変わらずだ。
だがしかし、「峰不二子~」の常軌を逸したインモラルに狂わされ、「次元大介~」の極上のハードボイルドに陶酔し、骨の髄までこのシリーズの大ファンとなっている者としては、正直、この血生臭さ加減のみでは物足りなかった。
1時間に満たない尺の長さではストーリー的な物足りなさが生じてしまうことは致し方ない。
前作「次元大介~」もストーリー性自体は極めてコンパクトだった。ただそれでも、ラストの一騎打ち“一発”で、次元大介というキャラクターのダンディズムを最大限に表現して魅せたことが素晴らしかった。
今作においてもファンとして求めていたことはまさにそれだった。
このタイトルを掲げる以上は、次元大介と人気を二分する“石川五ェ門”というキャラクターが持つ本質的な魅力を、どこまで振り切って描き出してくれるのかということ。
前述の通り、“斬鉄剣”が敵を切り裂く描写は、過去の映画シリーズにおけるマンガ的な表現とは一線を画し、壮絶に血生臭い。
ただし、目新しさはそれだけだったとも言える。
今作の石川五ェ門は文字通り致命的な迄に痛めつけられ瀕死の状態に陥りながら、極限の状態で敵を射止めるけれど、その描写がどこか俯瞰的なままに見えて、痛みが痛みとして伝わってこない。
それは詰まるところ、「峰不二子」や「次元大介」と比べて、「石川五ェ門」というキャラクターの魅力が引き出しきれていないことに他ならない。
「開眼」する前のもっとギラついていて、危うくて、脆い「侍」が、痛みと悟りを経て「石川五ェ門」と成る姿が観たかった。
あと“ついで”に苦言を呈するならば、このシリーズならではのエロティシズムが皆無だったことも至極残念。
それは即ち峰不二子の「露出不足」が甚だしいということ。
折角、日本のヤクザ文化と時代劇文化が全面に出ている作品世界なのだから、さらしを巻いた女賭博師なり、淫靡な遊女なり、破廉恥な春画なり、前作に登場した「“変態”機械仕掛け人形」並みの和風アバンギャルド描写はいくらでも用意できた筈だ。
せめて、檜風呂での入浴シーンくらいは見せろよ!とついつい声を荒げてしまう。
まあでもね、このシリーズに対する期待感は変わらない。暗躍する“あの方”と再び相見まえる「ルパン三世」長編劇場版の「リメイク」を心待ちにしている。