2.トム・ハンクスが新型コロナウイルス感染との報を受け、映画ファンとして少なからず不安が深まる今日この頃。
世界的スターや著名人における感染の報を聞くと、いよいよ“パンデミック”の様相だなと流石に危機感は募る。
そんなわけで、名優トム・ハンクスを“応援”する意味も込めて、本作を鑑賞した。
基本的に、人格者の“善人”しか演じない印象のトム・ハンクスが、何やら悪意に満ちた人物像を演じている様は、公開時から気になっていた。
描き出されるテーマ的にも、2010年代以降世界を席巻し、もはやサーバースペースという領域を超えて、現代社会を“支配”しつつある“GAFA(Google、Amazon、Facebook、Apple)”を筆頭にした巨大IT企業に対して、ほぼ名指しでその「功罪」を追求していることは明らかで、実際に各社のサービスに“依存”してしまっている“1ユーザー”として非情に興味があった。
が、鑑賞後の率直な感想としては「ひどく中途半端だな」というところ。
“社会風刺映画”として、消化不良感は否めないし、きっぱりと面白くはなかった。
いろいろと問題はあろうが、最たる弱点は、お話としての踏み込みの甘さだろう。
現実社会に君臨する“GAFA”に対して、ほぼ直接的に言及し、警鐘を鳴らしているわりに、肝心な部分で希薄さを感じてしまった。それは創作に当たっての「尻込み」と言ってもいいだろう。
最先端企業の革新的な価値と華やかさを魅力的に映し出しつつ、その巨大企業が生み出したツールやサービスを“ユーザー”である我々人間の一人ひとりがどう「活用」するのか?という問題提起。
そのストーリーの本筋は間違っていないし、やはり興味深い。ただストーリーの中で息づくキャラクターたちの描写があまりにも類型的で軽薄だった。
主演のエマ・ワトソンも、トム・ハンクスも、演者としてキャラクターにマッチしていたとは思うし、精力的な演技を見せていたとは思うけれど、人物描写の軽薄さが響き、人間としてまったく魅力的に映らなかった。
それはその他の脇役についても同様で、ジョン・ボイエガ(「スター・ウォーズ」シリーズ)やカレン・ギラン(「アベンジャーズ」シリーズ)ら割と豪華なキャスト陣が、何やら意味深で印象的な佇まいは見せてくれるが、言動や心理描写が尽く浅いので、「結局、何がしたかったの?」と思ってしまう。
トム・ハンクスは人間力の高いパブリックイメージを表面的には活かしつつ、行き過ぎた企業戦略を強行するCEO役を演じていたが、悪役に徹することができず、終始あまりにも中途半端な立ち位置だった。
ラスト、主人公の行動により、辣腕のCEOはどのような帰着に至ったのか。結果的に善人であったとしても、悪人であったとしても、その顛末はきちんと描くべきだったと思う。
一方で、ある意味“放りっぱなし”なエンディングを選んだ意図は理解できる。
詰まるところ、巨大なIT企業の英知と戦略がもたらした「未来」はもはや避けられるものではない。
現実社会においても、“システム”が進化していくことは止められないし、止めるべきではないだろう。
そこで頼らざるを得ないのは、結局、人間の「善意」だということ。爆弾も、核エネルギーも、その「発明」自体に罪はないわけで。罪の対象は、常に「人間」そのものである。
そういうこの映画の核心を、もっと深く抉り出せていたならば、この映画はこんな中途半端な“円”ではなく、もっと“尖った”作品になっていただろう。
エンドロールで、“ビル・パクストン”の名前を見て、難病を抱えた主人公の父親役だったことに気づいた。
が、その直後に「For Bill」の文字。この作品の直後に61歳の若さで亡くなったそうで。「アポロ13」「ツイスター」をはじめ、僕自身が映画を本格的に鑑賞し始めた90年代のハリウッド映画を彩った俳優の一人だったので、悲しい。
兎にも角にも、とりあえずトム・ハンクスは、コロナを治そう。