3.何とも言えぬ後味。感情の深い部分にねっとりとへばりつくような余韻も残しつつ、潔さも感じる。
監督はソフィア・コッポラ。そう、彼女の映画はいつだって痛々しいほどに、潔い。
南北戦争の最中、負傷し南部の森の中を彷徨う北軍兵士の男が、自給自足の暮らしを営む女学院にたどり着く。女性の園に突如として現れた異分子(=男性)をめぐり、恐怖と、疑心と、抑えきれない欲望が渦巻く。
序盤から、ソフィア・コッポラらしい繊細かつ艶めかしい女性描写が際立っている。
森の中で鼻歌交じりに“キノコ”採取に勤しむ少女の描写からはじまり、溢れ出る欲情を抑え込みながら負傷兵の体を丹念に拭く校長(ニコール・キッドマン)、鬱積した人生からの解放を望む教師(キルスティン・ダンスト)、早熟で積極的な少女(エル・ファニング)、一人ひとりの女性の押し隠してきた感情が徐々に確実に露わになっていく様が、丁寧に描き出される。
この映画を「潔い」と感じたのは、まさにその女性たちの感情の変化に焦点を絞り、他の要素を極力排除していることだ。
舞台となる女学院の背景や、負傷兵の人物像については、敢えて表面的な表現に留め、不要なドラマ性を避けているように見えた。
そうすることで、女性たち個々人の人物像と感情が、シンプルに際立っていたのだと思う。
恐怖と疑心を経て、女性たちはときめき、欲情し、葛藤と嫉妬が次第に憎悪へと変遷していく。
その感情の流れのみに焦点をあて、没入していくことが、この映画で堪能すべき要素であり、この映画世界の魅力であろう。
今作は、1971年公開の「白い肌の異常な夜」のリメイクとのこと。同作が主演のクリント・イーストウッドが演じた負傷兵(男性)の目線で描き出されたのに対し、今作は女学院の面々の目線から描き出したことで、リメイクの価値、改変の価値を高めたのだと思う。
最初からソフィア・コッポラ自身が主導した企画だったのだと思うが、極めて的確なチョイスだったと思える。