4.南米ベネズエラの大河を舞台に、Uボートの攻撃から生き残った一人の男が、Uボートに対する復讐の炎を燃やす(ピーター・オトゥールの狂気!)。彼には協力者がいるものの(フィリップ・ノワレがいい味出してる!)、巻き込まれたに等しく、事実上は主人公の孤独な戦い。欧州の戦況から遠く離れた地で、まさに人知れぬ戦いが、繰り広げられる。
なんで映画の舞台がベネズエラかというと、撮影の協力が得られたという純粋に製作上の都合みたいですが、実際のところ第二次大戦では、ベネズエラも含めた中南米の国の数々が、戦闘への参加はさておき、ドイツや日本に対する宣戦布告を行っていたのであって、そういう意味では地球規模の大戦とも言えましょう。地の果てみたいな場所、などと言っては現地の人に悪いけど、世界のどんな場所でどんな戦いが繰り広げられてもおかしくない状況の中、しかしだからと言ってこんな場所でこんな戦いが、何のために行われなければならないのか、異様とも言ってよい光景が繰り広げられます。
ひたすら復讐への道を突き進む主人公の偏執狂的な姿、それを描くこの映画自体にも、偏執狂的な雰囲気が横溢しています。主人公が操縦するオンボロ水上機が、果たして無事に離水するのか、その飛ぶや飛ばざるやという姿を、これでもかとカメラが追いかける様は、まさに偏執狂的と言ってよいもので、これだけでも手に汗握るシーンになっています。主人公の「執念」の映像化。
このシーンに限らず、主人公がUボートに立ち向かっていく姿が、この映画では、これでもかと克明に描かれます。作品を通じセリフが絞られていて、とにかく「見せる」ということに重点が置かれる。主人公がボロ船でUボートに突撃する場面なども、なにせボロ船でスピードが出ず、その光景だけもで充分に異様ですが、遅さ故にその光景が時間的にも引き延ばされ、異様さは数層倍に。主人公の狂気もまた、数層倍。誰も見ていない戦い、誰のためのものかもわからない戦い、誰にも止められない戦い。
圧倒されつつ、虚しさが心に突き刺さります。