1.だから、この手の事件を元に商業映画として製作されるコトにいつもいちいち苛立ちを感じてしまう今日この頃。ずるくも逃げ続ける加害者の市橋目線の映画なんてこの世に必要ないでしょと。こんなもの 遺族の方が目にしてしまったなら どういう思いをなされるんでしょうか。闇に葬るべきだよこんな作品はとつくづく思ってしまった次第であります。言葉汚くなってしまい申し訳ありませんが、まさにクソ映画・カス映画であるんじゃないかと思います。
ところで話は変わりますが、このサイト、みんなのシネマレビュー、本当の暴力映画・危険映画・批評するまでもないクソ映画は登録さえも出来ないようにシステムされているコトは皆さん御存じでしょうか 例えば、作品名、コンクリートです。(例えばとはいえ、私が気づいていたのはこの作品一作品のみなので他に複数存在するのかどうだかは分かりませんが)とにかくコンクリートです。そう 女子高生コンクリート詰め殺人事件を再現させたその映画、実はこれ、こちらでは登録出来ないんです。登録時に弾かれてしまいます。その時、このサイトにモラルを感した瞬間だったのですよね ご参考までに。
(ついでに申しておきますとそのコンクリート 被害者及び遺族に対する配慮が一切ない まあヒドイ映画です)
となると、このI am 市橋映画がそこまでヒドイのかって 別にコンクリートに比べりゃ屁でもないです
言うなれば、監督兼主演のディーン・フジオカの一人猿芝居のようなもんだ 猿の屁だ。
でも、いちいちエンターテイメント化されて商業用映画となってしまっている事にやはり苛立ちを感じるんです。やはりクソ映画だと認定したい。