1.《ネタバレ》 この臨場というドラマは、検死によって「死者の人生を根こそぎ拾ってやる」というのが、主人公の信条で、映画だってそういったセンでなければ、劇場版でやる意味が無い。
今回、倉石のやったことは、死者の思いを拾ったというより、医療トリックを暴いただけで、臨場らしさがない。
死者の人生を拾うということは、その死者の生前の話になるはずだ。いや、確かに遺族の心の彷徨は描かれている。だが、倉石の拾うのは死んでいった者達の声のはずだ。
しかし、今回の事件は、見てくれ!と言わんばかりの、加害者をめぐる物語である。
しかたがないので、「根こそぎ拾う」のを一時置いといて考える。この事件の一番の重大ごとは、何と言ってもいい加減な鑑定医と弁護士、詐病を見抜けない精神科医、心神喪失を装う被告人だろう。こういう連中に、なんとか「正義の」審判を下して欲しい、と観るものは願う。例えばここに杉下右京がいたら、多少なりともそれを公にしようと画策するだろう。
しかし、このドラマの語り手は(主人公でさえ)、そんな事に関心がない。意図してそういう展開にして、問題提起するという場合もあるが、本作では本気で「そんな事より、人を殺すのはけしからん」というスタンスだ。
結局、倉石の、被害者の人生を拾う気持ちも見えず、陰に隠れた腐った権威にも目を向けず、直接の犯人にだけ興味のある、なんのための、これだけの大事件だったのか判らない、半端な映画になってしまった。
最後に見つけた看板?アレをもっと、検死結果と結び付けられた物語だったらね。