1.ううーん、僕は「素晴らしき哉、人生!」でフランク・キャプラにぞっこんLOVE(←死語。というより、古語)してしまったクチなのですが、この作品は、ちょっとひねりすぎではないかなー、と思ってしまった。女性新聞記者の意図がいまいち掴みづらかった感じがしたし(後から分かってきたけど)、ちょっと設定が無茶すぎる感じがしました。「隣人愛」がテーマっていうのはいいんですけどね(もし今、キャプラが生きていたら、どんな映画を作るんでしょうね。ちょっと興味があります)。(6点)<2005.6.3追記>最近観直したのだけれど、これって実は「恐い」映画だ。恐くて、危うくて、過激で、挑戦的。多分、前に僕が観た時に感じた違和感は「素晴らしき哉、人生!」的なものを期待してたというのと、あとこの作品の中の「善意」というものの描かれ方にあったのだと思う。思うに人の「善意」というものほど当てにならなくて脆いものはない。それにその善意が純粋であればあるほど「狂気」や「暴力性」に転化する(特にムーブメントと結びついた時には良くない方向に進む事も少なくない、というのは、例えば宗教の歴史や一部の市民運動などを見れば明らかだ)。そういう意味で善意は悪意より厄介なものかもしれない。しかし!絶望的な中、主人公のジョン(すなわちキャプラ)は訴える。確かに世の中は腐ってる、かもしれない。人間なんて弱いし愚かだし、キレイゴトで片付かない問題だってあるよそりゃあ。んでもさ、そこで安易にニヒリズムに陥っちゃったってしょーがないじゃん。このまま負けを認めたってつまんないじゃん。てか、ささやかな善意すら信じられなくなっちゃったら、そもそも生きる値打ちなんてないじゃん。だから、も一回信じてみようじゃないか!と(←こういう台詞がある訳ではなく、あくまで僕にはそう聞こえた、という事です)。そういえば、貧しい移民の子であったキャプラは若い頃、詐欺師とまではいかないまでもそれに近い事もやっていて、映画界に入る時も、最初は監督としての契約金だけ貰ってトンズラするつもりだったらしい。それが後年人間の善性を訴える作品を次々と生み出す事になるのだから、ある意味ジョン・ドーはキャプラ自身なのかもしれないな、と思う。「素晴らしき~」ほど知られてないけど、これはまさに「裏・素晴らしき哉、人生!」。皆様是非是非観てみて下さいませませ。