2.《ネタバレ》 GYAOの無料動画で視聴。映画についての神話みたいな自己言及的な映画。物語全体が比喩で出来ている。冒頭のシークエンスで、見る者と見られる者、撮る者と撮られる者の主客が逆転して、それを端から見物してる観客がいて、作品を商売にする錬金術師が現れる。ずっとセミの鳴き声が聞こえていて、ずっと陽光が射していて、まるで複数のカメラで中断せずに撮ってるのかと思うほど、およそカット割というものを感じさせることなく空間と演技が自然に流れていって、ただ字幕も見ずにボーッと眺めていたいくらい幸福な美しさがあります。
アトリエに入ってからは、ドラマとドキュメンタリーの境界をめぐる物語。絵画製作部分は完全なドキュメンタリーだけど、ある意味ではエマニュエル・ベアールの裸もドキュメンタリーだといえるし、画材の音などにもドキュメンタリーの要素があって、その境界を意図的に取り払おうとしてる。ただ、ドラマの合間合間に絵画制作ドキュメンタリーが差し挟まれることのぎこちなさはあって、ドキュメンタリーとの融合によってドラマの真実味が増すというよりも、かえってドラマ部分が白々しく見えてくる逆効果も感じる。絵画の作業に何の魅力も感じない観客にしてみれば、ただ無意味で退屈な時間が長いだけって感も拭えない。
終盤にもなると、だんだん見てるほうの感覚が麻痺してくるのか、ドラマとドキュメンタリーの違いを意識せずに見られるようになってくる。エマニュエル・ベアールの顔はとりたてて美人ではないけれど(どこかしら橋本環奈似)、お尻が大きくてふくよかなプロポーションはとても美しいと思いました。けれど、ほんとうに血の通った「美しき諍い女」の完成品は、壁に埋められてしまって誰も目にすることが出来ません。芸術の不可能性に対する警告。
個人的な好みで採点したら8点が限度だと思うけど、理解しきれてない部分はたくさんあるし、映画史的な重要性も加味して9点にしておきます。