2.《ネタバレ》 とどのつまり人はみな孤独である。
ただそこには同時に、人はみな何かに寄り添い生きていくことしか出来ない、という逆接的な意味合いを孕んでいると思う。
独りでは生きていけないからこそ、「孤独」という状況に対して過敏に反応し、失意に暮れるのだろう。
「喪失」を携え、“親友”の男と女が肩を寄せ合い、夜景を眺めるラストシーンを見送り、エンドロールを眺めながら、まずそういうことを思った。
“男”が望み欲したものは、必ずしも新しい恋などではなかったと思う。
この物語は、もちろんラブストーリーであるとは思うけれど、それはあくまで一側面で、その領域はもっと広く、一人の人間の人生観そのものを描き出していると思えた。
また、お洒落で洗練されたビジュアルに覆われているけれど、この映画の確固たるSF性の深さも興味深い。
“人格”を持つまでに進化したOSの「彼女」。“声”のみのキャラクターに過ぎない彼女の存在感が、男との関わり合いが深まりにつれより一層に際立ってくる。
プログラムが進化し人格を持つという科学的空想は、もはや絵空事とは言えず、とても身近なことに思える。
果たして「彼女」が辿り着いた結論は、プログラムが明確な「意志」を持ったことの表れであり、その描写はとてもとても深淵で、科学的な神秘性に満ち溢れていた。
主人公の男は、実は、元々決して不幸なわけではなかった。
愛した妻と別れなければならない状況であったとしても、仕事上では信頼を受け、心を許せる親友もいる。
でも、人は誰でも「孤独」と隣り合わせで、ふとしたきっかけでそれに覆い尽くされる。
そんな時に出会った「彼女」との出会いと別れは、誰かと寄り添い生きていくという、人間の脆さと素晴らしさを再確認させてくれたのだろう。それはきっと幸せことだったと思う。
「何かに寄り添い やがて生命が終わるまで」
とは漫画「寄生獣」の最後の言葉だが、この映画の“サマンサ”と寄生生物“ミギー”が選んだ道には、とても似通ったものを感じた。
世界中の誰しもが人生の中で幾度も味わうであろう、心の「喪失」と「修復」。
本来同時進行ではあり得ないその心情の機微を、等しく、あまりに眩く描き出した傑作だと思う。