8.《ネタバレ》 この作品は、ウディ・アレンが苦手という方、ウディ・アレンが好きだという全ての人に見て貰いたい傑作だ。
偽のドキュメンタリーという語り口から変な映画である。
白黒、1928年のパレードから映画は始まる。1920年代末期の当時を劇中に再現してみせ、ありとあらゆる職業を経て、カメレオンのように“紛れ込んで”しまうウディ・アレンの凄さ。
フィルムでは、あたかも劇中のアレンが実際に生きていたかのように人々が研究対象にし、新聞に載り、遂にはチャールズ・チャップリンやキャロル・ロンバート、マリオン・デイヴィス、ジェームズ・キャグニーにまで“会い”、当時の政治家と混ざり、スピーチまでしてしまうのだ。
何とヒトラーの横で熱いキスまで交わしてしまうアレン。
馬が“いななく”イオンはどうなってんだろう。
よく当時のカメラがあったもんだ。サイレントの早回しやトーキーの滑らかな映像の中を動き続ける。壁を登るシーンは苦労しただろうね。
劇中のアレンは“他人と同化してしまう”男であり、自分のアイデンティティーを求めて笑い、悩み抜く。様々な職業を試すアレンだが、中々自分自身を見出す事はできない。
人間は自分を貫く事よりも、他人と同じ行動を取る事に充足感を得ようとする。
良く言えば分相応、悪く言えば自我が無い。
仲間外れにされた時の恐怖、孤立した時の恐怖・・・人間は一人になる事を怖がる生き物でもある。先祖たちが孤立せず集団で助け合い自然と闘ってきたように、人間の潜在意識もまた仲間を求める。しかし、助け合う事と服従は違う。
服従して自分の言いたい事も言えない、やりたい事もやれないで何が人生だ!そんなつまらない人生なんて何も面白くないよと、この映画は笑いと共に教えてくれる。
医者のミア・フォローという心の支えを得て、同じ失敗を繰り返しながら、その果てに思いがけない“発見”をする。
「人間おかしくなれば何でもできる。大事なのは周りに合わせることでもなく、自分の欠点を無理に責めることでもなく、常に自分自身を主張することでもなく、欠点を含めた自分自身を受け入れること。そしてできれば自分を助けてくれる大切な人がそばにいてくれれば、こんな幸せなことはないだろう。笑った後に心がきれいになっている」