5.《ネタバレ》 ラストシーンのあまりの素晴らしさ。
愛情の欠片もない無慈悲な兄との関係を、暴力によって断ち切った(かの様に見える ─ というのは暴力は暴力を生むというこの映画の法則に従えば、ここで断ち切ったとは言い切れない)トム・ストールは、愛情の消えかけた(かの様に見える ─ この後の展開がそうでなかったことを明白にしている)我が家に辿り着く。キッチンのテーブルの上には3人分の食事が用意されており、妻と子供ふたりが夕食をとっている。誰も何も語ろうとはしない。そこに苦悩するトムが帰ってくる。妻エディはうつむき、息子ジャックは戸惑う。トムは項垂れつつもキッチンに入ってくる。沈黙。エディはうつむいて、ジャックは戸惑っている。ここで、娘のサラがふと席を立ち上がり、後ろを向く。そしてふいとサラがこちらを向いたとき、(恐らくエディが用意しておいたであろう)真っ白な大きな皿とフォーク、ナイフが、か弱い手にしっかりと握られているではないか。サラはそれらをそっとテーブルの上に置き、席に着く。それを見たジャックは、大皿に盛ってあったチキンか何かをその真っ白な皿によそってやるのだ。この子供たちの愛情に答えるかのように、トムは静かに席に着く。そして目線の先にいるのは、勿論うつむいたままのエディだ。ここからは純粋な切返しが始まる。やがてエディの顔は上がり、二人は見つめ合う。そしてふと何かを見つけたという顔のトムのショットでこの映画は幕を下ろす。
「君の目を見たときに好きだということがわかった」トムはチアガール姿のエディを抱いてそっと呟く。つまりラストのトムが見つけたものは「それでもまだ愛している」というエディの愛情のまなざしだったのだろう。だからこの映画のラストに台詞は必要がないわけだし、この切り返しだけで、映画になっている。
ただしかしこの結末が、安易に愛情の安堵感だけで締め括られているとは到底思えない。この映画の根底には暴力は暴力である、暴力は暴力を生む、ということがあるからだ。暴力を愛で乗り越える映画では決してないのだ。ただエディのまなざしには「許し」が存在する。それは暴力の中にあるのではなく、やはり愛の中にあるのだ。許すこと。