2.出だしから、歴史年表的なさっぱりとした映画のすすめかた、原田のオッサンのナレーションで映画をしめる!と思いきや、そのうち、赤軍の俳優達に引き込まれ、そんなことなど忘れる。これをみて、安易に”オウム”を連想する。
いや、赤軍の彼らには、哲学が!ビジョンが!あった!と思っていた。しかし、なんてことはない。グループをかさにまとった、”殺人者たち”だった。法務大臣が、”死刑執行”の最終判断をくだす。”軍隊が戦場に赴く”。爆撃する。爆弾をかかえ自爆する。傭兵として働く。兵器をつくる。兵器を売る。銃を撃つ。刃物を使う。人が人を殺す。10億の平和の為に、1億の犠牲はやむおえない。とひとは言う。国がある。集団がある。宗教がある。哲学がある。家族がある。俺がある。だから殺しはやむをえない。すべて、ていのいい、言い訳にすぎない。ひとは今日も殺しつづける。この事件でショックなのは当然、仲間どうしの”リンチ殺人”である。ぼくが常々おもうことは、ヒトはつねに”他人の目を気にして自死する”ということ。実は、ホントは死にたくないのに、おかれた状況の流れで簡単に殺すし、自ら死ぬ。シンプルにいえば、ひとり孤立して”生活”すれば、ものごとの”哲学”思想”戦争”でみずから死ぬことはありえない。あきれ返るほどの頑な、しかも、なんの脈絡もない、真実でもない、正否でもない、必要もない、”組織のおやくそく、雰囲気”で殺す、死ぬ。われわれ平和をあいする一般はセセラ笑う。ハタチそこそこの大学生が。机上の空論が。巨大なデモやってもそれじゃ、なにも変わらない。と、ふつう思うだろう。いや、そうではないだろう。一撃の、一握の、かなり大掛かりな爆弾で、毒ガスで、兵器で、武器で、世の中は比較的簡単に変わってしますはずだ。それは残念で、たいへん恐ろしいことだが真実だ!モノをこわすのは簡単だ。もっとも、いかに絶望的に破壊されようが、衰退しようが、すぐに復活、復興するだろうけどね。これ、名作だとおもう。俺は好きだ。あえて、極論しよう!殺したいものは、殺せばよい。殺されたくないものは、反撃するか逃げればよい。それ以上それ以下でもない。現実はひとつ。