1.《ネタバレ》 まず何よりも田畑智子がいい。縦横無尽に走りまわるその姿から畳の上でのムーンウォークに至るまで、彼女が画面の中で動いているだけで、まるで素晴らしいダンスでも見ているかのように胸が躍る。さらに感動的なのは相米慎二監督の型破りな長回しが、ここではこの田畑智子という興味深い生命体の面白さを如何に最大限に引き出すか、その一点にきちんと集約され、とてもスマートにその機能を果たしているということだ。相米は正面切ってとても誠実にこの少女に向き合う。前作『東京上空いらっしゃいませ』でも大いなる片鱗を見せていた彼のその「直球勝負」が、ここにきてさらに研ぎすまされ、ついに一つの完成形を見せる。思えばかつての相米映画の子どもたちは両親の不在の上にあった。『ションベンライダー』に親たちの姿は一切なく、『雪の断章ー情熱ー』の斉藤由貴に至ってはあらかじめ孤児である。『台風クラブ』で野球少年の父親は骸としてのみかろうじて存在し、工藤夕貴は一度もその姿を見せぬ母親の痕跡だけが残る布団にくるまり、ただ泣きじゃくるばかりだ。逆に父母の前から自らその姿を隠さねばならない『東京上空』の牧瀬里穂しかり、相米映画の子どもたちはみな一様に、ある種みなしごとしてそこに描かれてきた。『セーラー服と機関銃』が、主人公の父親の葬式からはじまるのは偶然ではない。薬師丸ひろ子演じる星泉は、みなしごとなってはじめて相米映画の主人公たる資格を得たのだ。そんな相米慎二が、まず父母ありきで描かれるこの少女の物語を選んだのもまた、偶然ではないだろう。彼は徹底して排除してきたその存在と、ここに至りはじめて決意をもって対峙している。母と娘、父との別居をめぐるその攻防戦。ガラス戸の向こうで娘が口にする『なんで産んだん?』その問いに咄嗟に答えられない母親は、ただ無言のままガラス戸を突き破り、娘を力の限りにつかむ。それが彼女が答えられるせいいっぱいの答えなのだ。その手の答えに泣いた。そしてそんな母娘の愛情と決闘を、ここまで真正面から相米慎二が描いたことにも。自分をしっかりと抱きしめ、胸をはっておめでとうございますと叫ぶ主人公レンコとしての田畑智子、それを描く相米慎二、その二つの輝きを余すことなく焼きつけることができた『お引越し』は、この上もなく幸運な映画である。